ロバーツからの離反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 10:28 UTC 版)
「トマス・アンスティス」の記事における「ロバーツからの離反」の解説
西インド諸島のとある島で、飲んだくれの乗組員からの侮辱に憤慨したロバーツが、その場でその人物を殺してしまうという事件が発生した。殺された男の仲間であったジョーンズは怒りを露わにし、ロバーツを公然と批判した。ジョーンズの罵りを聞いたロバーツは彼の背中を斬り付け、ジョーンズもまた反撃してロバーツをしたたかに殴りつけた。その後ジョーンズは鞭打ちの刑に処されたが、この一件を機に彼はロバーツからの離反を決意した。同じころ僚船に対して横柄であったロバーツに不満を感じていたアンスティスもこれに同調し、彼らは共謀してグッド・フォーチュン号ごとロバーツ一味から離反しようと計画したのである。1721年4月18日、一味がアフリカ海岸沖に来たさい、ジョーンズは遊びに行くふりをしてグッド・フォーチュン号に乗り移り、そのまま夜陰に乗じてこの計画を実行した。 7月中旬、アンスティスの一味はイスパニョーラ島とジャマイカの間の海域で多数の船を拿捕し、食糧などを奪ったうえで乗組員の増員を図った。これらの船のうち、アイルランドからやって来たアーウィン号では乗船していた女性船客に乱暴を働き、終いには彼女を海に投げ込んでしまった。彼女を助けようとしたモントセラト島のドイリー大佐にも暴行を加えたとされる。 バミューダ諸島へ足をのばした一味は、カロライナに向かっていたモーニング・スター号を拿捕し、100人の仲間を乗り組ませて海賊船とした。モーニング・スター号は部下のジョン・フェンに指揮を任せて僚船とし、新たな航海に出ると思われたが、新入りが多かった一味は仲間割れを起こし、ついには解散するしかないだろうという結論に至った。一味は国王の赦免を求めるための請願書を作成し、ジャマイカからイギリス本国へ向かう商船にこれを託した。彼らは請願書の中でロバーツに海賊になることを強要されたのだと主張し、誰が首謀者なのか分からなくするために円形に署名をした。 一味はイギリスからの返事が来るまでキューバの無人島に身を潜めた。それから約9か月後の1722年8月、一味はジャマイカ航路を辿って使者の船に追い付いたが、イギリスで請願が却下されてしまったことを知った。この悪い知らせを受けた一味は再び海賊稼業を続けざるを得なくなり、グッド・フォーチュン号とモーニング・スター号の2隻で出帆した。南に向かっていた一味だったが、不注意のためにモーニング・スター号がグランドケイマン島に乗り上げて大破してしまった。アンスティスはグッド・フォーチュン号を投錨して乗組員たちを収容していたが、そこに2隻の軍艦HMSヘクター号とHMSアドヴェンチャー号が接近して来た。アンスティスはすぐさま沖に出て逃走を図り、危ういところで離脱することに成功した。一方軍艦は島に残っていた海賊たちを捕虜にした。結果的にアンスティスは40人もの部下を失ってしまったのである。 軍艦から逃れた一味はホンジュラス湾にてダーフィー船長のスループ船を含む数隻の船を拿捕し、乗組員たちは全員海賊船に乗せた。ダーフィーは後に多数の乗組員を引き入れて逃亡を計画した。この計画は失敗に終わり、アンスティスはダーフィーを討伐しようとしたが、上陸したダーフィーの一団が激しく応戦したため諦めざるを得なかった。
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