ロケット列車の実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 21:20 UTC 版)
「真空チューブ列車」の記事における「ロケット列車の実験」の解説
1949年(昭和24年)に「音速滑走体」と名付けられた構想が発表、戦時中に四式重爆撃機の開発を担当し、当時名城大学理工学部教授(のちに学長に就任)であった小沢久之丞により、真空チューブ内にロケットを走らせるという「ロケット列車」の実験が、1959年(昭和34年)から10年以上にわたり実施された。実験で使用した車体は全長1m、直径8cm、重さ6.7kg、ニトログリセリンによるロケットエンジン搭載というもので、1970年(昭和45年)の実験ではミドリガメとカエルを乗せて1,600mを3秒で滑走し、計算上の時速2,500kmという記録を出した。これは、東京~大阪間を7分で走り抜ける速度である。ただし実用化のためには走行時の加速の際の加速度対策をとらないと約30Gの重力がかり、内臓破裂で死亡するとも言われるという困難な課題があり、資金面や騒音なども未解決のまま小沢の死去により開発は終了した。また、あまりの高速で安全に止まれないなどの問題があり、実際に一回目の実験では止まりきれずに脱線、四散したため乗せていたミドリガメは死に、1972年(昭和47年)の実験ではミドリガメとカエルは生還した。 かつて大阪の弁天町の交通科学博物館に模型が展示されていた。
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