レスリング・ワースト・ナイトメア(2011-2013)
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「ケビン・スティーン」の記事における「レスリング・ワースト・ナイトメア(2011-2013)」の解説
2011年6月のBest in the World 2011でコリノの呼びかけでROHに復帰を果たし、復帰するとROHに不満をぶつけた(ストーリー上)が、呼びかけてくれたコリノにパッケージ・パイルドライバーを決めている。スティーンはジム・コルネットがスティーンをROHで二度と試合をさせないと観客に誓ってる最中に、会場から追い出されている。 その後7月にROHのオフィシャルメッセージボードにPWGを賞賛する書き込みをする。9月にはROHのメッセージボードにPPVであるDeath Before Dishonor IX に参戦すると表明。当日にエル・ジェネリコとジミー・ジェイコブスの試合中に乱入、エプロンにジェイコブスをパワーボムで叩きつけ、試合はノー・コンテンストになる。その後もROHの社長であるカーリー・シルキンにパッケージ・パイルドライバーを決めようとするがセキュリティーに会場から強制退場させられてしまう。 11月のRing of Honor Wrestlingに法律アドバイザーのクリスチャン・マスカーニ(OVWのタレント、法律アドバイザーもギミック)と共に登場、ジム・コルネットとROHに3週間以内に復帰させないと法的措置をとると告げた。12月冒頭のRing of Honor WrestlingにてPPVでノーDQでスティーンが勝てば再雇用するとの条件でコリノと対戦することが決定。PPVのFinal Battle 2011でコリノに勝利し、再雇用が決定した。試合後にジェイコブスにパッケージ・パイルドライバーを決め、現れたジェネリコにもパッケージ・パイルドライバーを決めている。メインのROH世界王座を賭けたデイビー・リチャーズとエディ・エドワーズの試合後、防衛に成功したデイビーに2012年にはベルトを奪取すると宣言した。 2012年3月のPPVであるYoung Wolves Rising 10th Anniversary Showに出場、ジミー・ジェイコブスと対戦し、ロー・ブローからのF-5で勝利、メイン終了後にデイビーに再びタイトルマッチを要求。3月30日のPPVのShowdown in the Sun Night Oneでエル・ジェネリコとラスト・マン・スタンディング・マッチで対戦、ジミー・ジェイコブスがジェネリコを裏切り、勝利。翌日31日のShowdown in the Sun Night Twoではエディ・エドワーズと対戦し勝利している。 5月のBorder WarsでROH世界ヘビー級王座を賭けてデイビー・リチャーズと対戦して勝利、スティーンは初めてROH世界王座を獲得、カナダ人としても初めての獲得であった。タイトル獲得後にジェイコブスとステイーブ・コリノがリングに登場、3人はハグし、S.C.U.M.(Suffering,Chaos,Ugliness,and,Mayhem)というユニットを結成した。 6月にはエディ・エドワーズを相手にタイトル初防衛に成功。6月のPPVであるBest in the World 2012: Hostage Crisisでデイビーを相手に2度目のタイトルを防衛している。8月のBoiling Pointでエディ・キングストンに防衛。9月のDeath Before Dishonor X: State of Emergencyのメインでライノを相手に防衛。10月にジェイ・リーサルを相手にタイトルマッチを行うがノー・コンテンストに終わっている。10月のGlory By Honor XI: The Unbreakable Hopeでマイケル・エルガンを相手に防衛している。12月のFinal Battle 2012: Doomsdayでエル・ジェネリコとタイトルを賭けてラダー・マッチで対戦して防衛している。 2013年3月の11th Anniversary Showでジェイ・リーサルとのタイトルマッチで防衛を果たすも、4月のSupercard of Honor VIでジェイ・ブリスコに敗れタイトルを奪われてしまった。
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