レジャー利用の成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 16:45 UTC 版)
「イギリスの運河」の記事における「レジャー利用の成長」の解説
20世紀後半になると物資輸送の手段として運河が使われることはなくなったが、運河の歴史的価値やレジャーとしての活用の可能性が注目されるようになった。これはL.T.C.ロルトの影響が大きい。ロルトの書いた『ナロウボート(Narrowboat)』は1944年に書かれた旅行記で、ナロウボートのクレッシー号での旅について書かれている。この変化のカギとなったのが内陸水運協会(Inland Waterways Association)の設立と、長い間レジャーボート事業に携わっていたノーフォーク・ブローズに続く形で作られた、新興ウィークリーレンタルボート会社である。運河を管轄するイギリス水路庁(British Waterways Board)は、1960年代後半から、解体した事業用ボートから造り直した多くのレンタルボートを動員してこの流れを支援した。 行楽客はナロウボートを借りて運河を遊覧し、通る町や村を訪れるようになった。ボートを買って週末の気晴らしに出かけたり、時には長旅にも出るようになった。休日を運河で過ごすというコンセプトは、湖での休暇を扱う大企業が、パンフレットに運河のボート場を加えるようになってより広まった。運河旅行は自然を楽しむことができ、コストも自給的な旅行並みに抑えられ、景観にもロンドン内からスコットランドの高原までバラエティがあるため大人気となった。このように評判が高まると、地方の運河関係者はこれを盾にして1960年代の、商業的に望みのない運河を閉鎖しようとする政府の提案に抵抗し、また「目障りな運河を埋めろ」「殺人運河を閉鎖せよ(運河に落ちた者がいたため)」などと主張する地方自治体や新聞に対抗した。それから間もなくして熱心なボランティアが、公式には解放されているが使えない運河を修復したり、さらには閉鎖された運河も修復して政府に運河の使用可能性を申請するようにさえなった。 地方自治体は、整備されて利用が多くなった運河が町や沿岸のパブに客を動員するのを目の当たりにして(ボートに乗る者だけではなく運河沿いでボートを見るのを楽しむ者もいた)、沿岸を整備して修復されたことを知らせるようになった。人々の運河への興味が再興した結果として、新しいルートの建設さえも行われており、船舶が運航できる川と既存の運河を繋ぐ形で、21世紀初の運河建設であるフェンス運河リンク(Fens Waterways Link)も施工中である。壮大なアンダートン・ボート・リフト(Anderton Boat Lift)の修理やファルカーク・ホイールの建設といった大プロジェクトはEUやミレニアム・ファンド(イギリスの国営宝くじの収益から創設された基金)からの投資を惹きつけた。
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