リンカーン大統領の誕生と南北戦争
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「アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「リンカーン大統領の誕生と南北戦争」の解説
1860年の大統領選挙では、遂に共和党初の大統領となるエイブラハム・リンカーンが当選した。これにより、アンドリュー・ジャクソン政権以来、危ういながらも続いてきた、民主党内の南部奴隷制支持派と北部との連携による支配に終止符が打たれた。代わって登場したのは、北部の産業界と農家を基盤とする共和党の支配する新しい時代である。 しかし、リンカーンの大統領当選がきっかけとなって、内戦が現実のものとなった。南部の奴隷州の一部は合衆国から脱退してアメリカ連合国を結成し、1861年3月、サムター要塞を砲撃し、南北戦争の火蓋が切られた。リンカーンは鮮やかな手腕で党内をまとめあげ、戦争を有利に進めたが、より強硬な路線を主張する党内の急進派には手を焼いた。各州の共和党では、ケンタッキー州を除いて奴隷制廃止を受け入れた。議会では、迅速な近代化を進める法案が共和党によって通過し、連邦銀行制度の整備、モリル関税(英語版)と呼ばれる高い関税、初めての一時的な所得税、多品目に対する個別消費税、「グリーンバック紙幣」と呼ばれる不換紙幣発行、大規模な国債発行、ホームステッド法、鉄道建設、教育支援、農業支援が実施された。 北部の民主党員の大部分は戦争を支持したが、1862年秋にリンカーンが奴隷制度廃止を戦争の目標に加えると、反戦に転じる者も多かった。共和党は、和平を望む民主党員を国家に忠実でない「カッパーヘッド(英語版)(マムシ)」だと非難し、戦争支持の民主党員(ウォー・デモクラット(英語版))をつなぎとめることで1862年の議会選挙で多数派を維持した。1864年の選挙では、ウォー・デモクラットの多くと国民統一党(英語版)を結成し、やすやすとリンカーンの再選を果たした。戦時中、大都市では上位中産階級が中心となってユニオン・リーグ(英語版)が創設され、資金集めや政治活動を通じて、合衆国(ユニオン)や共和党を支えた。
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