ラレースの両親
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 15:31 UTC 版)
「ラレースの母(Mater Larum)は Arval Bretheren の記録やごく少数のローマ人の記述によると、死の女神マーニア(Mania)またはラールンダ(Larunda。ララ (Lara)、ムータ(Muta)、タキタ(Tacita)とも)とされている。 ウァロ(紀元前116年 - 紀元前27年)は、ラレースはサビーニー人の神で、その母はマーニア(Mania)だと信じていた。その名は後のローマ人作家が「悪霊」の意味で使った。紀元2世紀末、Festus は子守が子供を怖がらせるのにその名を使っていたと記している。Macrobius (395年 - 423年)は、羊毛でできた人形(maniae)がコンピタリアに吊るされていたことをそれと関連付けている。Macrobius はこれを、かつて同じ祭りで人間が生贄に捧げられていたことの代替で、その習慣を初代執政官のルキウス・ユニウス・ブルトゥスが禁じたと記している。 Arval Brethren は、デア・ディーアの神殿でラレースの母(cena matri Larum)に聖なる食事を供した。彼らは粥を入れた神聖な日干しの陶製壷の上で祈りの言葉を暗唱し、神殿の入り口から斜面の下に向かって壷を投げた。これは地中の神々へ食事を捧げる作法である。 ラレースの母に関する神話で現存しているのは、オウィディウスが記したものだけである。『祭暦』の中で、ララはおしゃべりなニュンペーだったが、ユーピテルの秘密の恋のことをしゃべったために舌を切られたと記している。ララはこのためにムータ(Muta、無口)になり、日のあたる世界から追放され、地下の死の世界(ad Manes)に住むようになった。この世界を沈黙の世界(タキタ、Tacita)とも呼ぶ。彼女をそこに導いたのがメルクリウスで、その道中でメルクリウスによって妊娠させられた。オウィディウスの詩では彼女が産んだのは双子の男の子で、母親と同様に無口だった。 ラレースとその母を古代エトルリアの神々とする説もある。これは、エトルリア人のローマ王が Lars と称されていて、「王」や「君主」といった意味だったことに由来するとされる[要出典]。ギリシアの著作家はラレースをヒーローまたはダイモーン(神と人間の中間的存在)と翻訳した。また、プラウトゥスは、メナンドロスが heroon (小神殿)としているところを Lar Familiaris と翻訳している。このラールは自らを秘宝の守護神だと明かしている。
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