ラファエル・レムキンによる発案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 21:49 UTC 版)
「ジェノサイド」の記事における「ラファエル・レムキンによる発案」の解説
レムキンは、ドイツの大学で言語学を学んでいる頃、アルメニア人虐殺の生存者でベルリンでタラート・パシャを暗殺したソゴモン・テフリリアン(英語版)の裁判に関心を持ち、法律を学び始め、1929年に学位を取った。 1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。レムキンはこれを逃れ、その後スウェーデンを経てアメリカのデューク大学に渡る。1944年に連合国側についていたアメリカで、カーネギー国際平和財団から『Axis Rule in Occupied Europe(占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治)』を刊行。同書のなかで、「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として、「ジェノサイド」という新しい言葉を造語した。 なお、レムキンが「ジェノサイド」という言葉を思いついたのは1941年8月、ウィンストン・チャーチルのBBC放送演説における「われわれは名前の無い犯罪に直面している」という言葉によるという。のちに、1945 年のニュルンベルク裁判の検察側最終論告において、「ジェノサイド」が初めて使用された。 ジェイムス・J・マーティンらは、レムキンがカーネギー国際平和財団から出版したことや、ルーズベルト大統領政権で外国経済行政の主席研究員をつとめており、敵国押収財産の配分と実務処理を担当していたことなどから、ユダヤ・ロビーとの関連も指摘している。 日本語では「集団殺害」と訳されるが、ジェノサイドの実際の規定では殺害が伴わない場合もある。また、集団殺人であっても、民族・人種抹殺の目的を伴わない場合はジェノサイドに当らない。 また政治学者の添谷育志も「ジェノサイド概念を超歴史的に適用することは、歴史責任問題を無限に拡大することになりかねない」とも指摘している。
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