ライバルたちの苦戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:41 UTC 版)
「2002年のF1世界選手権」の記事における「ライバルたちの苦戦」の解説
この年はマクラーレンが失速し、ウィリアムズがフェラーリの脅威となった。 ウィリアムズは、前年3勝を挙げたミハエル・シューマッハの弟ラルフ・シューマッハが第2戦マレーシアGPで優勝。これをワンツーフィニッシュしたことにより、暫定のコンストラクターズトップに浮上。予選ではファン・パブロ・モントーヤが第7戦モナコGPから第11戦フランスGPにかけての5レース連続でのポールポジション獲得を含めた計7回のポールポジションを獲得し、その点ではシューマッハに並ぶ活躍を見せ、度々フェラーリを脅かした。ところが、優勝は第2戦のラルフのみに留まり、序盤のリードもバリチェロのリタイアによるノーポイントの結果という面が強く、バリチェロが入賞し始めるとすぐに逆転された。また、マシンの信頼性不足が響き、モントーヤのほうはそれに度々泣かされて優勝するチャンスを逃し、予選の好走を生かし切れずにシーズンを終えた。ラルフは1勝を挙げたものの、モントーヤに比べ予選で結果を残せず、決勝もマシントラブルで完走扱いも含めたノーポイントになる場面が目立った。 前年タイトル争いを演じたマクラーレンだが、表彰台の常連ではあったが、タイヤをミシュランにスイッチしたことなどのマシンの熟成不足で失速。ポールポジションは一度も獲得できなかった。それでも、デビッド・クルサードが第7戦モナコGPで優勝したが、優勝もその1度のみであった。チームメイトのキミ・ライコネンは開幕戦での3位表彰台獲得や第14戦ベルギーGPでフロントローを獲得するなど活躍したが、レースでは信頼性不足や事故などにより10レースでリタイヤ。結果コンストラクターズランキング2位の座はウィリアムズに奪われた。 ワークス体制復活のルノーはエンジンパワーが不足していたが、ジェンソン・バトンとヤルノ・トゥルーリの活躍により、コンストラクターズチャンピオンシップ4位を獲得した。ただし表彰台にはあがれず、マレーシアGPではバトンが終盤にチャンスを逃し、結局2回の4位が最高位であった。トゥルーリも2回、4位を獲得したがリタイヤが多かった。
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