ライバルとなるアウトウニオンの創設(1932年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「ライバルとなるアウトウニオンの創設(1932年)」の解説
1932年6月29日、ダイムラー・ベンツと同様に経済的な苦境に陥っていたドイツの4社の自動車メーカーが合併して「アウトウニオン」が設立された。同社は設立されてすぐに1934年の750㎏フォーミュラ開始に合わせて参戦を始めるべく行動を開始し、フェルディナント・ポルシェに設計を依頼してグランプリカーを開発し、参戦に向けた準備を進めた。アウトウニオンはノイバウアーをヘッドハントしようと試みるなどしたため、その計画は1932年時点で早々にダイムラー・ベンツ側の知るところとなる。ノイバウアーはこの時に一度はアウトウニオンとの契約に合意して署名しており、退職願を受け取ったダイムラー・ベンツの取締役会議長のキッセルがレースへの復帰を約束して翻意させていなかったら、その後のモータースポーツの歴史は様相の異なるものになっていただろうと言われている。 ノイバウアーの獲得には失敗したアウトウニオンだったが、ノイバウアーの助手だったヴィリー・ウォルブやチーム・カラツィオラの一員だったヴィルヘルム・セバスチャンをチームに迎え、ウォルブにチーム運営を任せた。こうして、メルセデスチームにとっては、技術面でも運営面でも手の内を互いによく知る相手がライバルとなり、1934年から1939年にかけてレースの勝利や最高速度記録をかけて激しく競い合うこととなる。
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