ヨーロッパ封建領主の没落とは? わかりやすく解説

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ヨーロッパ封建領主の没落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 09:23 UTC 版)

封建領主」の記事における「ヨーロッパ封建領主の没落」の解説

ヨーロッパにおける封建領主、とくに諸侯騎士没落は、徐々に進行したものではあるが、それにはいくつかの画期があった。 その第一は、11世紀末から13世紀後半にかけての十字軍東征である。十字軍資金調達の必要から教皇皇帝国王徴税制度発達させる一方諸侯騎士武器遠征費用基本的に自弁であり、また、領地をしばしば留守にすることも余儀なくされた。遠征先の中近東でも皇帝国王指揮下に入った。これは、それまで確保していた諸侯騎士地位下落させるものであったまた、これに前後して貨幣経済進展し封建領主領主直営地農民保有地にかえ、生産物貨幣地代徴収するようになった第二は、14世紀から15世紀にかけての英仏間の百年戦争である。これは、現在のイギリスフランス国境線画定した戦争であり、両国国家体系国民帰属意識は、この戦争先んじて存在していたというよりは、この長い戦争通じてようやく形成されといってよい。その意味英仏中央集権的な国家となって生まれかわる一方で諸侯騎士没落促す戦争であった。 この戦争ののち、イングランドでは「薔薇戦争」が起こって諸侯はさらに疲弊し没落する一方で王権著しく強化されテューダー朝による絶対君主制への道が開かれたフランスでも、こののち宗教対立による内乱ユグノー戦争)が発生したが、祖国統一されたことで王権伸張し、のちのブルボン朝による絶対君主制基盤となった14世紀以降戦乱続発とともにペスト黒死病)の流行もあって、当該期のヨーロッパ人口減少したため、農民地位相対的に向上した農民保有地の広がりあいまって農奴身分から解放され独立自営農民あらわれはじめた第三には、上述した火器使用あげられる火縄銃はじまり15世紀末のヨーロッパで開発されたものと考えられるが、これは従来戦法戦争様相一変させてしまった。16世紀以降戦争なかでもドイツがその主たる戦場となった三十年戦争においてはアルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインのような戦争請負人傭兵集めて戦った。もはや、戦士としての騎士は必要とされなくなったのである第四は、大航海時代以降世界の一体化にともなうアメリカ銀の西ヨーロッパへの大量流入による急激な物価上昇価格革命)である。これにより、16世紀西ヨーロッパ好況沸き商工業のいっそうの発展もたらされたが、反面固定した地代収入依存する諸侯騎士などの封建領主層はいっそう没落した。これに対し東ヨーロッパでは、西欧拡大する穀物需要応えるために、かえって農奴制強化され農場領主制呼ばれる経営形態進展した

※この「ヨーロッパ封建領主の没落」の解説は、「封建領主」の解説の一部です。
「ヨーロッパ封建領主の没落」を含む「封建領主」の記事については、「封建領主」の概要を参照ください。

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