ヨーロッパ大陸の学会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 22:40 UTC 版)
15世紀頃から学問が盛んになると、教育機関となってしまった大学に代わって学会やアカデミーが研究機関の原型として整い始めた 。1474年にイタリアのフィレンツェにおいて、メディチ家によって「プラトン学院(Accademica Platonica)」が創設された。これが学術的な情報交換を目的とした集まりの始まりとされており、主に古典文献研究が目的だった。その後自然科学研究の隆盛とともに、その情報交換を目的として1603年にモンティチェリ公フェデリコ・チェージ(Federico Cesi)が、山猫の目のような鋭い具眼の持ち主を目標にするという趣旨で、ガリレイなどの自然科学の研究者や愛好家を集めてローマに「山猫アカデミー(Accademia dei Lincei)」を設立した 。 イタリアでは、1657年にトスカーナ大公フェルディナンド2世・デ・メディチ(Ferdinando II de' Medici)とその弟レオポルド(Leopoldo de' Medici)が、ガリレイの精神を継承していくためにトリチェリなどを擁した「実験アカデミー(Accademia del Cimento)」を作った。 フランスのパリでは1630年代から、数学や音楽の研究を趣味とする司祭メルセンヌ(Marin Mersenne)が多くの研究者を集めて、自然科学について自発的に研究集会を開くようになった。これは「メルセンヌ学会(L'Académie de Mersenne)」と呼ばれた。フランスの大臣コルベールは、イギリスの王立学会に刺激を受けて公式の科学学会を組織すべきと国王ルイ14世に進言した。その結果、1666年にパリに「王立科学アカデミー( l'Acadmie Royale Des Sciences )」が誕生した 。
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