イギリスの王立学会
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ロンドンでは、1645年頃から数学者ウォリスらが中心となって新しい科学に興味を持つ人々がグループを作って、新しい知識を集めて議論、考察する活動を始めた。このグループの一部は清教徒革命などの政争の影響でオックスフォードに移り、1649年頃からオクスフォードグループと称された。1660年に国王チャールズ2世の復帰によって王政が再開されると、オックスフォードグループはロンドンのグループと合流して、ロンドンのグレシャム・カレッジで会合を持つようになった。このグループは1662年に国王による勅許を得て王立学会(Royal Society)を設立した。国王は名称の利用を認めただけで学会の運営は国王とは独立していた。 王立学会の活動の特徴は、1665年以降「哲学紀要(The Philosophical Transactions of the Royal Society)」を定期的に出版したことである。王立学会は勅許があるため、このような出版物も国の検閲を受けずに発行することができた。この紀要はイギリスだけでなくヨーロッパ中からの報告を掲載し、また発見の告知、先取権の確立、論争の展開を通して、今日の学術論文の元となった。19世紀の生物学者トマス・ハクスリー(Thomas Huxley)は、この紀要の役割についてこう述べている。"もし哲学紀要を除く全世界のすべての本が破壊されたとしても、物理科学の基盤は揺るがず、過去200年間の膨大な知的進展についての記録は、完全とは言えないまでも、ほとんどが手元に残ると言って差し支えない" 。
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