イギリスの産業政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 05:33 UTC 版)
イギリス東インド会社は東南アジアでの高級香辛料の獲得競争でオランダ東インド会社に敗れたのち、インドに進出して綿織物であるキャラコの輸入を始めた。このキャラコはヨーロッパの上級・中流階級で大流行したが、イギリス政府は国内の毛織物産業や絹織物産業を保護するためキャラコ輸入禁止法を制定した。 蒸気機関の発明による動力革命や鉄道や大型汽船の発明による運輸革命などの一連の産業革命の発端となったのが繊維革命で、それはインド産綿織物に対抗する形で発生した。アメリカのプランテーション経営で栽培された綿花を原料に、技術革新で近代化された織機や紡績機で加工することで安価で質の高い綿織物が大量生産されるようになり、イギリスは綿織物を世界に大量に輸出するようになった。 イギリスでは産業革命や市民革命を通じて資本家階級が勢力を伸ばし、特定の会社に限って特許を与える保護貿易ではなく市場に自由に参入できる自由貿易を主張するようになった。オランダに対抗するため海運の独占的利益の確保を目的として制定されていた航海条例も次第に緩和され1849年に廃止された。
※この「イギリスの産業政策」の解説は、「産業政策」の解説の一部です。
「イギリスの産業政策」を含む「産業政策」の記事については、「産業政策」の概要を参照ください。
- イギリスの産業政策のページへのリンク