イギリスの生活への浸透
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 17:05 UTC 版)
「ゴールデンシロップ」の記事における「イギリスの生活への浸透」の解説
ゴールデンシロップの成功を受けて、1890年、チャールズ(英語版)とジョン・ジョセフ(英語版)は新たな挑戦を始めた。醸造家用のサトウキビ属(英語版)やその他の転化糖の製造方法を独自に開発した後、チャールズはロンドンで製造を担当し、ジョン・ジョセフはオーストラリアのバンダバーグ(英語版)にあるサトウキビ農園を監督するために国を出た。 チャールズが最初に作ったゴールデンシロップは、強力なブランド力とユニークな風味の組み合わせで急速に国民的な人気を獲得した。1910年にロバート・スコットが南極探検を行った際にはゴールデンシロップが補給品として選ばれ、1911年にはイギリス王室御用達となったのも重なりこの傾向は強まった。1956年に探検家がスコット隊の倉庫の残骸を発見した時、ゴールデンシロップは完璧な状態で残っておりすぐに使用可能だったため、国民のこのシロップへの愛情はさらに高まった。 1921年、ライル(英語版)の事業は1859年にヘンリー・テイト(英語版)が設立した製糖会社「テイト」と合併し、「テイト・アンド・ライル(英語版)」となった。2010年、同社は砂糖精製とゴールデンシロップの事業をアメリカン・シュガー・リファイニング(英語版)に売却した。 ゴールデンシロップが作られる前の数年間は、製造に特化した砂糖がイギリスに輸入されることは無いに等しかった。大規模なメーカーが生産するには経済的に無理があったからである。第一次世界大戦中の砂糖配給の責任者として活躍し大英帝国勲章を授与されたチャールズは、1928年にスラウ工業団地(英語版)に工場を設立し、糖の中でも特にゴールデンシロップの製造を開始した。
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