ユニタ・ブラックウェル、ミルズ夫妻、その他の敵対者
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「サンフランシスコにおける人民寺院」の記事における「ユニタ・ブラックウェル、ミルズ夫妻、その他の敵対者」の解説
教団は、しばしば政府機関や他の人々による陰謀の標的であると見做されており、これらの陰謀を教団の文献の中に含めることもあった。 1976年11月、ミシシッピ州メイヤーズヴィル(英語版)町長であり公民権活動家であるユニタ・ブラックウェル(英語版)は、ギアリー大通りの教団本部で、女優のシャーリー・マクレーンと共に行った中華人民共和国への旅行に関して話をした。この内容は、2人の人物が玄関で盗聴しており、すぐにレンタカーで逃走した。教団は車のナンバープレートの情報を政府の電子機器専門家に問い合わせた。連邦議会議員・フィリップ・バートン(英語版)との一連の手紙のやり取りの後、アメリカ空軍はこの市民は彼らと雇用関係にあったが、彼はブラックウェルの演説の日に休暇を取っていたと述べた。この出来事は、教団に対する陰謀のリストに追加されることになった。 教団はまた、脱走した元信者のアル・ミルズ(旧名:エルマー・マートル)とジェニー・ミルズ(旧名:ディアナ・マートル)を取り巻く陰謀を見た。ミルズ夫妻が脱会する前から、ジョーンズは自身をウラジーミル・レーニンの生まれ変わりであると主張していており、かつてジェニーに対して「レーニンは弾丸を体に持ったまま死んだ。私もそうするだろう」と話していた。教団は「転換委員会」(英語: Diversions Committee)の分派として、「マートル委員会」(英語: Mertle Committee)を結成し、まだ教団信者であった娘の助けを得て、夫妻の家に侵入して文書を盗むなどの活動を行った。最終的に、夫妻はストーンら他の教団離反者たちとの会合を主催し始めた。 その一方で、アメリカ合衆国税関(英語版)は、12人を超える教団の元信者達からの告発を受け、木箱の二重底に隠す形でジョーンズタウンへ密輸された170丁の銃器を調査していた。教団は、ミルズ夫妻の長年の友人であるデイヴィッド・コンが、教団の同盟者であるデニス・バンクスに対して、教団を非難した場合、今後の身柄引き渡しの問題に関してより良いと述べた際、調査について知ることになった。この後、マートル委員会は、コンのゴミを漁り、彼の家の床下に侵入し、コンの妻に対して匿名の脅迫電話を掛けた。教団は、コンとバンクスの会議を教団資料の中で「恐怖の試み」として非難した。 さらに、教団はアメリカ合衆国郵便公社がサンフランシスコの教団本部宛の郵便物を改竄したり、サンフランシスコの教団のボディガードであるクリス・ルイスの死の背後に「共謀者」がいるとみており、「彼(ジョーンズ)が社会正義のための最も根気強い闘士であるから、反動軍は彼を抹殺しようとしていた」と主張した。
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