モンパルナスの発展
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1903年創業のラ・ロトンドは、もともと労働者相手の大衆的なビストロであった。当時のモンパルナスは、まだ麦畑、牧草地、葡萄畑が広がる田舎であり、1895年10月22日に列車が駅に停車せずに、駅正面の壁を貫通して落下したモンパルナス駅の鉄道事故(フランス語版)以外に、ほとんど取り上げられることのない場所であった。モンパルナスの発展のきっかけは、1905年にパリ警視総監が、ヴォージラール通り(フランス語版)とモンパルナス大通りの間にある建物を解体して、ラスパイユ大通りを開通する許可を出したことであり、1911年7月に、全長4 km以上のヴォージラール通りの最後の部分が完成し、カルティエ・ラタンを横断するサン=ミシェル大通り(フランス語版)に通じ、サン=ジェルマン大通りとモンパルナス大通りをつなぐラスパイユ大通りの開通式が行われた。そしてこれが、文学・芸術の中心地としてのモンパルナス誕生の契機ともなった。同じ1911年にオーヴェルニュ出身のヴィクトル・リビオンがラ・ロトンドを買い取り、さらに隣接する靴屋を買収して常連向けのバーを増設し、広いテラスを設けた。 これ以前には、ピカソ、アメデオ・モディリアーニ、マックス・ジャコブらが住んでいた木造住宅「洗濯船」を中心とするモンマルトルが文学・芸術の中心地であったが、1910年にパリ北部のモンマルトルと南部のモンパルナスをつなぐ地下鉄「南北線」が開通したこともあり、彼らは次第にモンパルナスに移り住むようになった。1911年に作家・芸術評論家のアンドレ・サルモン(フランス語版)がモンマルトルからモンパルナスに越したとき、画家らは主に農家や倉庫をアトリエにしていた。
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