モンパルナスで最も長い歴史を誇るカフェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 22:27 UTC 版)
「ル・ドーム」の記事における「モンパルナスで最も長い歴史を誇るカフェ」の解説
「ラ・ロトンド#モンパルナス大通りの老舗カフェ」および「ラ・ロトンド#モンパルナスの発展」も参照 1898年にル・ドームを創設したポール・シャンボンは、それまでモンマルトルに近い9区で15年ほどカフェを営んでいたが、開発が始まったばかりのモンパルナスのカルフール(交差点)・ヴァヴァンこそ、今後、最も重要な公共空間「アゴラ」となると予見していた。当初は煙草屋を兼ねた小さなカフェバーであったが、20世紀に入ってから、ミュンヘンでゴッホ展が開催されたのを機に、若い画家にとってパリが憧れの地となり、やがて主にドイツ人画家、特に反軍国主義・反教権主義の風刺雑誌『ジンプリチシムス』(1896年創刊)に風刺画を掲載していた画家が訪れるようになった。 『ジンプリチシムス』誌の風刺画家であったジュール・パスキンが渡仏したのは、1905年12月である。一方で、当時は主に裕福なアメリカ人やドイツ人が多かったが、常連の一人であったアポリネールは、テオドール・ジェリコー、ギュスターヴ・クールベ、ジョルジュ・スーラ、アンリ・ルソーについて論じるドイツ人画家が、富裕層の常連と関わることはなかったという。作家・美術評論家のアンドレ・ワルノー(フランス語版)は、ル・ドームは「共同住宅であり、公共の場であり、宿屋であり、集会所であり、競売場であり、ゲットーであり、無法地帯であった」と語っている。
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