モハ81形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:46 UTC 版)
モハ81 1972年(昭和47年)12月に越後交通より同社長岡線の一部区間廃止に伴って余剰となったモハ3000形3002を譲り受け、翌1973年(昭和48年)1月に導入したものである。越後交通3000形は同社長岡線の前身事業者である長岡鉄道が、1951年(昭和26年)12月の電化開業に際して京浜急行電鉄デハ110形112を譲り受けてその台枠ならびに主要機器を流用し、同年11月に日本鉄道自動車工業において車体を新製したものであった。 車体は全長15,850mmの半鋼製車体で、屋根部が深く取られたやや鈍重な外観を呈している。前面形状は非貫通構造の3枚窓形状、側面には片側2箇所1,000mm幅の片開客用扉を備え、客用扉直下にはステップが設けられているが、一般的に側窓上端部より高い位置に設けられる客用扉上端部が、モハ81においては両者の上端部が同一の高さに揃っている点が特徴である。側窓は二段上昇式、乗務員扉は運転台側にのみ設置され、窓配置はd1D(1)8(1)D2(d:乗務員扉、D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)である。台車は越後交通における竣功当時は種車となった京急デハ112より流用したテーラー・エレクトリック・トラック社製揺れ枕付軸ばね式台車であるテーラー19を装着したが、越後交通在籍当時に台車交換が実施され、鉄道省制式の釣り合い梁式台車TR14(固定軸間距離2,450mm)を装着した。主電動機は定格出力41kW (55HP) の東洋電機製造TDK-31Eを4基、歯車比63:21 (3.0) で搭載した。 モハ81はワンマン運転対応化改造対象から外れて終始ツーマン仕様のまま運用され、路線縮小に際して廃車となった。
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