メディア・芸能界への転身後
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「嶋尾康史」の記事における「メディア・芸能界への転身後」の解説
大阪のマネジメント事務所「ACT-21」に所属。1997年から1998年までは、毎日放送・KBS京都の阪神戦中継にスポット契約で解説を担当していたほか、『朝ダッシュ!』(毎日放送の制作で平日の早朝に生放送で編成されていたテレビ番組)でスポーツキャスターを務めていた。後に野球解説者として正式に契約することを打診されたが、「(故障で)野球ができなくなったので、野球に向き合えなくなった。自分程度の実績で解説するなどおこがましい」との理由で固辞。当時「ACT-21」を訪れていた深町幸男(演出家)が同事務所の関係者を通じて「彼(嶋尾)に台詞をしゃべらせてみたい」という意向を伝えたことをきっかけに、俳優へ転身した。 深町が演出を手掛けた1998年放送の連続ドラマ『魚心あれば嫁心』(テレビ東京)で、俳優として本格的にデビュー。2002年には『ミスター・ルーキー』(かつて所属した阪神を題材にした実写映画)に「阪神の4番打者・多田」としてユニフォーム姿で出演したが、2009年以降は俳優としての活動期間が阪神の投手時代を上回っている。 また、近年は舞台演出家としても活動。女性アイドルグループ「JK21」のプロデュースを手掛けるほか、2016年から「Team337」(柊子やACT-21所属の若手俳優を中心に構成される劇団ユニット)を率いている。また、阪神球団が発行する月刊誌『月刊タイガース』では、「嶋尾康史のトラリンク!」という対談企画のホストを務めている。 2017年からは、eスポーツのプロチームの運営にも関与。当初はインフィニティ大阪の総監督を務めていたが、同チームがサイクロプス大阪との合併によって消滅したことを機に、同年12月からサイクロプス大阪のシニアアドバイザーに転じている。 俳優としては脇役へ起用されることが多いが、プロ野球の出身者らしく、恵まれた体格が醸し出す独特の存在感が持ち味。俳優デビューの直後から嶋尾を自身の作品へ起用している若松節朗(映画監督)から、「自分が不器用であることを分かっているからこそ、1つの台詞に対して100回練習するなど、一生懸命努力している」として「日本一不器用な俳優」という表現で高く評価されている。嶋尾自身は、野球選手と俳優の相違点について、自身の経験を基に「野球では結果がすぐに出るが、芝居には正解がなく、(映像作品で撮影監督や他の演出家から出演シーンに)OKが出ても『大正解』とは限らない。ただ、『お客さんありき(で公に活動している)』というところは、野球でも芝居(舞台作品)でも変わらない」と述べている。
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