メインフレーム中心の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/25 16:14 UTC 版)
「コンピュータウイルスとワームの年表」の記事における「メインフレーム中心の時代」の解説
1971年、最初期の自己複製型プログラムの一つ『クリーパー』が作られた。BBNテクノロジーズ社のボブ・トーマスが作成した。利用したコンピュータはDEC社のPDP-10、OSはTENEXだった。このプログラムは「俺はクリーパー、捕まえられるかな?(I'm the creeper, catch me if you can!)」と表示するものだった。後、レイ・トムリンソンらが改変した。これは、インターネットの前身ARPANETの端末間に広く拡散した。この対策として、トムリンソンはクリーパーを駆除するために『リーパー』というプログラムも作っている。 1974年、今でいうFork爆弾の一種、『ラビット』が作られた。このプログラムは複数の自己複製を行い、その動き自体がシステムの能力を低下させ、最終的にクラッシュを引き起こすものだった。 1974年頃、プログラマーのジョン・ウォーカー(英語版)は、UNIVAC 1108(英語版)向けのプログラム「ANIMAL」を発表した。もともとのANIMALはウイルスではなく、一種の学習型プログラムである。プレイヤーがある動物を頭の中で思い浮かべ、コンピューターからの「その動物の耳は長いですか?」「色は白いですか?」といった質問にイエスかノーかで答えていくうち、コンピューターは過去に登録された動物であれば「それはキリンですね」といった答えを返し、登録されていない動物であればプレイヤーにその動物の名前を入力させて新たに登録する、というものだった。このプログラムは使用希望者が多く、ウォーカーはそのたびにいちいちコピーするのが面倒になったため、まだそのプログラムがインストールされていないディレクトリを見つけたら勝手にインストールするプログラム「PERVADE」を開発した。ウォーカーは、慎重にプログラミングを行ったつもりだったが、結果としてシステムの負荷を異常に高めてしまうものだった。そのため、ANIMALは世界初のトロイの木馬と見なされている。 1975年、イギリスのSF作家ジョン・ブラナーは、小説『衝撃波を乗り切れ』を発表し、その中で、コンピュータネットワーク上で増殖するプログラムを初めてワームと呼んだ。
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