ミニシアターブームとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ミニシアターブームの意味・解説 

ミニシアターブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 17:30 UTC 版)

シネマライズ」の記事における「ミニシアターブーム」の解説

1992年には松竹直営から離れ独立系映画館として独自路線歩み始める。転身直後にはトッド・ヘインズ監督デビュー作ポイズン』、1993年にはクエンティン・タランティーノ監督デビュー作『レザボア・ドッグス』上映アート性に加えて娯楽性ファッション性色気内包し作品選択した1993年頃には上階渋谷ピカデリー閉館してJリーグ公式スポーツバーとなったが、1996年にはJリーグブームが一段落したため、シネマライズの2スクリーン目に改装された。このスクリーンの初上映作品にはエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』が選ばれている。 1990年代シネマライズで特に大ヒット記録した単館系作品には、『トレインスポッティング』(1996年ダニー・ボイル監督)や『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995年K・S・ラヴィクマール監督)や『アメリ』(2001年ジャン=ピエール・ジュネ監督)がある。1996年の『トレインスポッティング』は33週にわたって公開され、2億3000万円-2億4000万円興行収入記録シネマライズ興行収入記録塗り替えた作品となった1998年の『ムトゥ 踊るマハラジャ』は23週にわたって公開され、2億1000万円の興行収入記録。『ムトゥ 踊るマハラジャ』は1998年6月13日から他館に先駆けて上映されマサラ映画日本中でブーム巻き起こすきっかけとなった1999年4月には道玄坂シブヤ・シネマ・ソサエティ開館し7月には渋谷公園通り近くシネクイント開館渋谷ミニシアター8館計12スクリーンひしめき合う激戦区となり、作品確保競争激しくなった。2000年頃からは都内シネマコンプレックスシネコン)が浸透して観客動向変化したことで、都内ミニシアター洋画買い控える傾向生じた1990年代後半上映された作品には『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999年ヴィム・ヴェンダース監督)などもある。 2001年の『アメリ』は36週にわたって公開され、2億8000万円興行収入記録。『トレインスポッティング』を上回り閉館に至るまでシネマライズ最高興行収入記録となった。『アメリ』は2001年11月から2002年7月19日までの異例ロングランとなり、日本中にミニシアターブームを起こしている。『アメリの上映の際には配給会社広告会社協同し主人公アメリのかわいらしい部屋小物強調して集客つなげた。『アメリ』が大ヒットする一方で向かいにあるシネクイントでは『メメント』が大ヒットしており、アート志向シネマライズエンタテインメント志向シネクイントというように特徴分かれていた。 シネマライズ成功によって、渋谷の他の映画館新しさ先鋭さを追うようになったとされる。『ムトゥ 踊るマハラジャ』と『アメリ』の大ヒットで、ミニシアター文化シネマライズ知名度が再び向上したとされる2002年8月には、全編で計8時間という現代美術作家マシュー・バーニー特集して連続上映した

※この「ミニシアターブーム」の解説は、「シネマライズ」の解説の一部です。
「ミニシアターブーム」を含む「シネマライズ」の記事については、「シネマライズ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ミニシアターブーム」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ミニシアターブーム」の関連用語

ミニシアターブームのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ミニシアターブームのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシネマライズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS