ボナ・デア・スキャンダル
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「ボナ・デア」の記事における「ボナ・デア・スキャンダル」の解説
ボナ・デアの儀式で最も知られているのは、紀元前62年12月4日に行われた、その年のプラエトル(かつ最高神祇官)ガイウス・ユリウス・カエサルの母アウレリアが主催したものであった。プブリウス・クロディウス・プルケルがカエサルの妻ポンペイアと密会する為に、女装をして儀式に忍び込んだものの、アウレリアによってその不逞行為が発覚し、神への冒瀆として告発されたというものである。 このスキャンダルは政敵であったキケローやプルータルコスによる記述に負うところが多く、その重大さには疑問の余地がある。女装については、ディオニューソスの祭りでは透けた衣装を纏うことが伝統的であり、当時30を過ぎていたクロディウスが本気で女性になりすまそうとしていたのかどうかわからない。女装して誘惑するという神話的モチーフはアキレウスとデイダメイアのように各国で見受けられるものであり、プルータルコスによる創作も疑われる。 キケローが友人アッティクスに宛てた紀元前61年1月25日の手紙にはこうある。 ある男がカエサル邸で行われていた人々のための儀式に女装して訪れた。そのせいで、ウェスタの処女が儀式をやり直した。そのことを元老院でクィントゥス・コルニフィキウスが、我々ではなく、彼が言い出した。元老院はウェスタの処女と神祇官に諮り、冒涜であると決議されたため、(クロディウスの罪状を問う特別審問所を開くための)ロガティオ(提案)に元老院による承認が与えられ、執政官が公示した。カエサルは妻を離縁したそうだ — キケロ『アッティクス宛書簡』1.13.3 問題になったのは事件から1ヶ月以上経ってからで、上述のようにボナ・デアの儀式がディオニューソス信仰と深く結びついたものであるとすれば、男性が参加していたとしてもそれほどの冒涜があったとは言えず、実際この冒涜の有る無しについてはウェスタの処女や神祇官にその判断を仰いでいる。また女装についても、1月にローマで行われていたハーデースの祭りでは、笛吹きが女装して練り歩いていたといい、プトレマイオス12世は哲学者がディオニューソスの祭りで女装しなかったことに激怒し、女装してシンバルを奏でることを強要したという。キケロー自身も『ピーソー弾劾演説』の中で、ローマの成人男性が宴会で裸で踊り狂い、口紅や香水を付けていたと言っているなど、それほど奇異な行動であったとは一概には言えない。 公的な場所で行われていた祭祀ではなく、各家庭で行われていた儀式であったことからも、刑罰の対象となる可能性は低い。ただ、ウェスタの処女による生け贄の儀式は神聖なものであった可能性が高く、そこに男性が居合わせることは、厳格な伝統主義者からすると冒涜であり、それを誇張されて政敵に利用された可能性がある。こうした冒涜に対しては、儀式をやり直すだけで十分であり、また罰も「神によって裁かれる」というのがローマの伝統であった。 ただ、キケローは紀元前62年1月1日の手紙で最初にこのことに触れたとき、大きなスキャンダルになっていると言っており、やはり女装して儀式を中断させたことは問題であったようで、ローマ人が宗教的な行事を尊重していたことが窺える。また、ボナ・デアの儀式が男性にも開かれたディオニューソスの儀式に近いとするには説得力がないとする反論もある。
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