ボッシュの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 13:33 UTC 版)
「トロント・ラプターズ」の記事における「ボッシュの時代」の解説
再起を図るチームは、全体4位指名権を得た2003年のNBAドラフトでパワーフォワードのクリス・ボッシュを指名する。ボッシュは、アントニオ・デイヴィスの退団で手薄になったセンターを急遽任されたものの、周囲の期待に応え、1試合平均11.5得点、7.4リバウンド、1.4ブロックを記録し、通算リバウンドとブロックではラプターズのルーキー記録を更新。オールルーキーファーストチームに選出された。しかし依然としてチーム成績は低迷したため、ゼネラルマネージャーのグランウォルドは解雇された。 やる気のないチームに散々トレードを要求していたヴィンス・カーターの退団(2004年12月にニュージャージー・ネッツに移籍。このトレードでラプターズはアロンゾ・モーニングらを獲得したものの、そのモーニングはラプターズでのプレーを拒否したために直ぐ様契約を解消するなどメリットは無きに等しく、結果的にカーターを失っただけに終わったため、NBA史上最悪のトレードと酷評された)以降、チームはボッシュやモリス・ピーターソンを中心に再建を進めることに。体格・スキル共に着々と成長を続けたボッシュはラプターズのエースに成長し、2006年にはNBAオールスターゲームにも出場。2006年バスケットボール世界選手権のアメリカ代表にも選ばれた。チームもさらなる発展を目指し、2005-06シーズン途中の2月、前フェニックス・サンズゼネラルマネージャーのブライアン・コランジェロをGMに呼び入れ、チームの大改革を始める。以降、コランジェロはサンズを強豪チームへと仕立て上げた手腕を発揮させ、チーム再生のキーマンと評価されることになる。 2006年オフには、2006年のNBAドラフト全体1位でアンドレア・バルニャーニを指名するなどの補強を行い、リーグ有数の多国籍軍となった。そして、ボッシュら既存戦力の活躍に加え、ミルウォーキー・バックスからトレードで獲得したポイントガード・T・J・フォードがチームに完全にフィットしたこともあり、史上初となるディビジョン優勝を果たした。この結果を受け、ヘッドコーチのサム・ミッチェルがNBA最優秀コーチ賞、GMのコランジェロがNBA最優秀役員賞を獲得している。しかしプレーオフでは経験不足をもろに露呈し、1回戦でカーター擁するネッツに2勝4敗で敗れた。 2007-08シーズンは、前年度の3ポイントコンテスト・チャンピオンであるジェイソン・カポノをマイアミ・ヒートから獲得した以外に目立った補強をせずにシーズンを迎えた。ところが、シーズン途中にボッシュやフォードを怪我で欠いたり、課題のディフェンス面に向上が見られなかったりという要因が重なり、前年度を下回る5割ちょうどの勝率でシーズンを終了する。なんとかプレーオフには駒を進めたが、オーランド・マジックに1勝4敗で敗れた。 2008-09シーズン前には、フォードやラドスラフ・ネステロヴィッチらをインディアナ・ペイサーズに放出し、見返りにジャーメイン・オニールを獲得。オニールが加入したことで、ボッシュとの強力なフロントコートが形成され前年度よりも躍進するかに見えたが、いざシーズンが始まると期待されたほど成績が上がらず、ヘッドコーチのミッチェルはシーズン途中で解任された。さらに、オフで獲得したオニールも、ショーン・マリオンとマーカス・バンクスとのトレードで、ジャマリオ・ムーンとともにヒートに放出された。その後、移籍してきたマリオンがチームに溶け込み、シーズン終盤に巻き返したが、結局2シーズンぶりにプレーオフを逃した。
※この「ボッシュの時代」の解説は、「トロント・ラプターズ」の解説の一部です。
「ボッシュの時代」を含む「トロント・ラプターズ」の記事については、「トロント・ラプターズ」の概要を参照ください。
- ボッシュの時代のページへのリンク