プロ球団としての本格始動とは? わかりやすく解説

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プロ球団としての本格始動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 02:01 UTC 版)

日本運動協会」の記事における「プロ球団としての本格始動」の解説

1922年大正11年6月21日朝鮮満州へ遠征し初め試合を行う。押川当時の『運動界』に書いたところによれば、同じ土地行なわれていた相撲興行圧倒するほどの人気があったという。この遠征は約1カ月続き総合成績12勝5敗であった帰国後、軽井沢早稲田野球部二軍合同合宿行なう。この合宿中に協会見せた技術マナー安部磯雄を感心させ、早稲田野球部一軍協会との試合が行なわれることになる。当時早稲田野球部は、谷口五郎田中勝雄など、後に野球殿堂入りする強力な選手抱えており、人気実力共に日本一とも目されていた野球チームであったこのため試合前は早稲田圧勝するだろうと見られていたが、実際に試合してみると延長戦にもつれ込んで早稲田1-0協会という僅差結果であり、敗れはしたもの協会大い上げた。これにより、各地のアマチュアクラブチームから試合申し込み相次ぐようになり、当時実業団チームの中では最強といわれた大阪毎日大毎野球団など多くチーム対戦した。 翌1923年大正12年)は、早稲田大学からも勝利をあげるなどチーム力向上し6月21日には京城(現:韓国ソウル)で日本2番目のプロ野球球団である天勝野球団対戦する。この、日本初となるプロ球団同士試合は、初戦6-5天勝が、2戦目では3-1協会勝利し、1勝1敗の引き分けとなっている。この後8月30日芝浦球場で3戦目が行われ、これは5-1協会勝利した

※この「プロ球団としての本格始動」の解説は、「日本運動協会」の解説の一部です。
「プロ球団としての本格始動」を含む「日本運動協会」の記事については、「日本運動協会」の概要を参照ください。

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