プロ球団としての本格始動
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「日本運動協会」の記事における「プロ球団としての本格始動」の解説
1922年(大正11年)6月21日、朝鮮・満州へ遠征し、初めて試合を行う。押川が当時の『運動界』に書いたところによれば、同じ土地で行なわれていた相撲の興行を圧倒するほどの人気があったという。この遠征は約1カ月間続き、総合成績は12勝5敗であった。 帰国後、軽井沢で早稲田野球部の二軍と合同合宿を行なう。この合宿中に協会が見せた技術やマナーは安部磯雄を感心させ、早稲田野球部一軍と協会との試合が行なわれることになる。当時の早稲田野球部は、谷口五郎や田中勝雄など、後に野球殿堂入りする強力な選手を抱えており、人気・実力共に日本一とも目されていた野球チームであった。このため、試合前は早稲田が圧勝するだろうと見られていたが、実際に試合をしてみると、延長戦にもつれ込んでの早稲田1-0協会という僅差の結果であり、敗れはしたものの協会は大いに株を上げた。これにより、各地のアマチュアクラブチームから試合の申し込みが相次ぐようになり、当時の実業団チームの中では最強といわれた大阪毎日(大毎)野球団など多くのチームと対戦した。 翌1923年(大正12年)は、早稲田大学からも勝利をあげるなどチーム力も向上し、6月21日には京城(現:韓国ソウル)で日本で2番目のプロ野球球団である天勝野球団と対戦する。この、日本初となるプロ球団同士の試合は、初戦は6-5で天勝が、2戦目では3-1で協会が勝利し、1勝1敗の引き分けとなっている。この後、8月30日に芝浦球場で3戦目が行われ、これは5-1で協会が勝利した。
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