ブレッドソー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 22:08 UTC 版)
「ニューイングランド・ペイトリオッツ」の記事における「ブレッドソー時代」の解説
1993年のドラフトでは全体1位指名でドリュー・ブレッドソーを獲得した。このシーズンは5勝11敗に終わった。 1994年にはドラフト全体4位でウィリー・マクギネスト(後に3度のスーパーボウル制覇に貢献)を獲得した。シーズン途中まで3勝6敗と低迷していたが、最後の7試合を連勝して10勝6敗としてプレーオフ出場を果たした。ブレッドソーはリーグトップとなるパス4,555ヤードを記録するなどの活躍で自身初のプロボウルに選出された。 1995年は6勝10敗にとどまった。TEベン・コーツは2年連続でプロボウルとオールプロの両方に選出された。 1996年シーズンチームは11勝5敗で地区優勝を果たすと、第2シードで出場したプレーオフでは安定した戦いを見せ勝利し第31回スーパーボウルに出場を果たした。スーパーボウルでは第1Qにブレッドソーが2TDパスを決め14-10とリードを奪うも、第2Qに17点を決められ突き放される。ブレッドソーは第2Q以降TDパスを決められず、逆に4つのINTを喫するなどしてブレット・ファーブ擁するグリーンベイ・パッカーズに21-35で敗れた。この試合を最後にHCパーセルズはジェッツに去った。 1997年、ピート・キャロルがHCに就任した。パーセルズがHCを務めるニューヨーク・ジェッツとの間で何人もの選手やコーチが移籍し、その中にはRBのカーティス・マーティンも含まれていた。チームは10勝6敗で地区優勝を果たし、プレーオフ1回戦でドルフィンズを17-3で破ったがピッツバーグ・スティーラーズに6-7のロースコアゲームで敗れた。 1998年には9勝7敗でAFC東地区4位ながらプレーオフに進出したが、1回戦でジャクソンビル・ジャガーズに敗れた。 1999年、序盤はブレッドソーが13TDパスに対しわずか4INTと好調でチームも6勝2敗でシーズンを折り返したが、シーズン後半はブレッドソーが6TDに対して17INTを献上するなど調子を崩し、チームも失速して8勝8敗に終わった。シーズン終了後HCキャロルは解雇された。 2000年、元クリーブランド・ブラウンズのヘッドコーチで、ニューヨーク・ジャイアンツ時代にディフェンシブ・コーディネーターとしてビル・パーセルズと共に2度のスーパーボウル制覇を経験したビル・ベリチックが就任した。当初ベリチックはパーセルズのあとを引き継いでニューヨーク・ジェッツのHCに就任したが、それを辞任してペイトリオッツと契約した。これに対してジェッツとパーセルズが異議を申し立て、NFLコミッショナーが認めた為ペイトリオッツは2000年度のドラフト1巡指名権との交換という形でベリチックと契約した。ベリチックはオーナーのロバート・クラフトからゼネラル・マネージャーとしての権限も託された。しかし開幕から4連敗と躓くと、シーズン中盤にも4連敗で早々にプレーオフ戦線から脱落した。1999年シーズンにリーグ8位と健闘したディフェンスの成績が大きく下降し、オフェンスも低調に終わり5勝11敗でシーズンを終えた。
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