フランス軍の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/15 14:40 UTC 版)
「ヴァールブルクの戦い」の記事における「フランス軍の崩壊」の解説
それまでにブラウンシュヴァイク公フェルディナントは、率いている軍の大集団が背の高い麦畑の中で、なおも戦闘に介入できるほど速く進めずにいることに気づいていた。そのため彼はグランビー卿ジョン・マナーズ(英語版)中将に、集団から分離して先に急ぐよう命じる。グランビー卿は結局、騎兵22個中隊とともに戦場に到着し、シャウムブルク=リッペ伯フリードリヒ・ヴィルヘルム(英語版)率いる軽砲兵2個旅団の支援を受けた。グランビー卿は騎兵隊を二つの集団に分け、後退中のフランス軍を即座に攻撃する。フランス側の各部隊はすでに退却中だったので、それぞれ6個中隊を擁する王立「ピエモン」騎兵連隊(フランス語版)と「ブルボン」竜騎兵連隊のみがこの襲撃に対応可能であった。これらの騎兵連隊はイギリス軍右翼の第1近衛竜騎兵連隊(英語版)を包囲し、押し返すことに成功する。しかしそこへ、近衛騎兵連隊が来援した。「ブルボン」竜騎兵連隊は撃退され、その際に軍旗1本を失う。 「『ブルボン』騎兵連隊の献身は、後退するフランス軍をイギリス軍の攻撃がもたらす全面的な効果から救ったが、同軍を容赦ない追撃戦から守ることはできなかった。」 しかし秩序を保っていた最後のフランス軍部隊が追い散らされると、イギリスの騎兵隊はまず逃亡する敵の騎兵に殺到し、続いて後退する歩兵にも襲いかかった。フランス軍の犠牲の大部分は、この段階で出ている。「プランタ」大隊の1個大隊全てが包囲され、降伏を強いられた。「ボルボネーズ」および「ルシュマン」連隊からも数百名が捕虜となる。それまでに、「フィッシャー義勇部隊」も「イギリス人軍団」によってヴァールブルクから追い払われていた。開けた平野に出たこの義勇部隊は同様に連合軍の騎兵隊に追い付かれ、完全に殲滅された。 ムイ中将はその間に、残存部隊をディーメル川の南岸に集結させようと試みていたが、その大部分は戦場から逃亡した。「トゥレーヌ」及び「ラ・トゥール・デュ・パン」歩兵旅団は適時、損害を被らないまま南岸の高地に陣取り、打ち破られた友軍の撤退行動を援護した。その後、彼らも退却する。この逃避行の中、フランス軍の輜重の一部はメンガーリンクハウゼン(英語版)付近で連合軍の奇襲部隊の手に落ちた。ブラウンシュヴァイク公フェルディナントはイギリス軍の12個大隊と騎兵10個中隊をグランビー卿に託し、敗れた敵軍の追撃に当たらせた一方、友軍の残りは戦場やディーメル川南岸の高地で休止させた。
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