フランス軍の増援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 09:10 UTC 版)
「マスタードム作戦」の記事における「フランス軍の増援」の解説
10月1日、グレイシーの活動権限が正式に拡大され、3日にはそれまで禁止されていたスピットファイア戦闘機による攻撃が許可された。また、10月1日にはイギリスとベトミンの代表者による会談が催されている。この中で2日に発効予定の停戦合意が交わされ、フランスとベトミンの会談も3日に設定された。ただし、その後も戦闘は散発的に続いていた。10月5日、フィリップ・ルクレール中将指揮下のフランス軍部隊がサイゴンに到着し、グレイシーの指揮下に入った。10月10日、タンソンニャット飛行場付近で水路点検を行っていたイギリス軍の工兵分遣隊がベトミンからの攻撃を受け、これにより停戦は破られた。工兵の大半は殺害されるか負傷していた。この事件を受け、グレイシーは日本軍将兵の復員よりも治安の回復こそが優先すべき課題であると認めた。この時点で増援としてE・C・V・ウッドフォード准将(E.C.V. Woodford)指揮下の第32旅団がベトナムへ派遣されている。第32旅団は特に治安悪化が著しいサイゴン北部郊外のゴーヴァップおよびザーディン方面に配置された。英印軍第16軽騎兵連隊(英語版)所属の装甲車による支援を受けた第32旅団が到着すると、同方面に展開していたベトミンは撤退した:206。
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