フラッド訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:08 UTC 版)
「1970年のメジャーリーグベースボール」の記事における「フラッド訴訟」の解説
前年10月に、球団からフィラデルフィア・フィリーズへの移籍を通告されたカージナルスのカート・フラッドは、トレードを拒否してボウイ・キューンコミッショナーに書簡を送り、「私は自分の意志に反して売り買いされる所有物ではない。選手を商品のように売り買いする制度は、どんなものであれ市民としての基本的権利を侵すものであり、アメリカの法律に違反している」と主張した。しかしコミッショナーは「フィリーズでプレーすることに合意しなければ、プロでプレーしないという選択肢もある」と返事してフラッドの訴えを却下した。フラッドは選手会事務局長マービン・ミラーの支援を受け選手会もフラッドを支持することを決議して、この年1月16日に連邦裁判所ニューヨーク支部に民事訴訟を起こし、野球機構は選手を奴隷状態に拘束する組織であり、トレードの強制は独占禁止法に違反するとして野球機構と両リーグに対して100万ドルの損害賠償を求めた。これに対して前年12月にウォーレン・ジャイルズに代わってナショナルリーグ会長になったチャップ・フィニーとアメリカンリーグ会長のジョー・クローニンは、翌日に「フラッドの訴えが認められれば、それはプロ野球の終わりを意味する」との共同声明を発表した。 選手会は前年12月に、保留条項の修正、最低年俸の引き上げ、年間162試合を154試合に減らすことなど41項目にわたる要望書をオーナー側に提出していた。年明け2月27日に前の週に提示された新しい基本契約書を検討した結果、満場一致で拒否することを決め、前年と同じくストライキの構えを見せたが、しかし直前に両者が歩み寄ってストライキは不発に終わった。まだこの頃は選手にストライキを打つことに抵抗があった(初めてストライキを起こしたのは2年後である)。そして8月12日に予審裁判で「保留条項は、選手の供給源を確保するために条項を保持することを全ての球団が同意しており、変更はできない」としてフラッドの訴えは認められなかった。フラッドはすぐに控訴審に上訴した。
※この「フラッド訴訟」の解説は、「1970年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「フラッド訴訟」を含む「1970年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1970年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- フラッド訴訟のページへのリンク