フラッパーのイメージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:15 UTC 版)
アメリカでフラッパーという言葉が初めて登場し、そのイメージが浸透したのは、1920年のフランシス・マリオンが脚本を書き、オリーヴ・トーマスが主演した映画『ザ・フラッパー (en:The Flapper)』によるところが大きい。トーマスは1917年に出演した映画でも『ザ・フラッパー』と同じような役を演じているが、この映画ではフラッパーという言葉は使われてはいない。その後重度の麻薬中毒になり服毒死したトーマスが最後に出演した映画でも、トーマスはフラッパーの代表格として扱われている。トーマス以降、クララ・ボウ、ルイーズ・ブルックス、コリーン・ムーア 、そしてジョーン・クロフォードらが、フラッパーというイメージを体現した女優として、大きな人気を誇った。 アメリカでは禁酒法がフラッパーの増加の一因となっている。合法のサロンや会員制のキャバレー、裏通りのもぐり酒場 (en:Speakeasy) が多く作られ、秘密裏に酒を提供する場所として人気を得た。遵法精神および宗教観に根ざした禁酒運動と、事実上どこでも酒を口にすることができるという現実との乖離が、権力への軽視という風潮となった。また、フラッパーは1890年代に理想とされたギブソン・ガールの反動でもあった。 F・スコット・フィッツジェラルドやアニタ・ルース (en:Anita Loos) といった著述家、ラッセル・パターソン (en:Russell Patterson)、ジョン・ヘルド・ジュニア (en:John Held, Jr.)、エセル・ヘイズ (en:Ethel Hays)、フェイス・バロウズ (en:Faith Burrows) といったイラストレーターが、フラッパーの外見や生活スタイルを取り入れた作品を発表して、フラッパーの大衆化に大きく貢献した。これらの作品を通じてフラッパーは、蠱惑的、奔放、自立した女性というイメージで見られるようになっていった。しかしながら詩人、評論家ドロシー・パーカーが「フラッパーを憎む詩」を著したように、フラッパーの流行を好ましく思わない人々も存在していた。フラッパーを「軽薄な様子で格好でタバコを吸いカクテルを口にする、それがフラッパー」と非難する労働組合や、「最低の知力」「教育者にとってどうしようもない厄介者」と評したハーバード大学の心理学者がいた。
※この「フラッパーのイメージ」の解説は、「フラッパー」の解説の一部です。
「フラッパーのイメージ」を含む「フラッパー」の記事については、「フラッパー」の概要を参照ください。
- フラッパーのイメージのページへのリンク