現実との乖離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 04:34 UTC 版)
しかし、頑固党ら旧琉球士族が頼りとする清国は、19世紀前半より、その国体が大きな動揺に晒され、アヘン戦争、天津条約や北京条約による欧米列強からの蚕食を受け続けていた。アイグン条約で外満州やトルキスタンの一部を喪失するなど外圧に晒され続けており、また清朝支配領域内でも太平天国の乱、パンゼーの乱や回民蜂起を始めとする内乱に明け暮れていた。北洋艦隊や洋務運動など清朝体制下での強兵政策が進んでいったのもこの頃である。 さらに19世紀後半になるとカシュガル条約により外西北を喪失、さらに中華秩序の根源たる清朝周囲の冊封国に列強や周辺国の脅威が及んだ。それは旧琉球だけではなく、暹羅(タイ)、越南(ベトナム)、緬甸(ビルマ)、朝鮮などに及び、これらの旧冊封体制は次々と崩壊、有名無実化していった。 このように清国と中華秩序は四面楚歌のまま清朝内陸まで列強の浸食化におかれ、清王朝そのものが滅亡への道をひた走っていた。
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