フウセンウオ・ペンギン・カワウソなど
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 08:49 UTC 版)
「オホーツク水族館」の記事における「フウセンウオ・ペンギン・カワウソなど」の解説
クリオネに続いて水族館は新たなスター探しも行う。2000年5月には、飼育観察していたダンゴウオ科のフウセンウオとナメダンゴを日本で初めてふ化させる。フウセンウオは越年飼育が難しく、約二千匹がふ化したうち、2001年春まで生き残ったのは250匹だった。2001年4月29日の網走新聞は、フウセンウオを今シーズンの見ものだと紹介し、また、同年8月1日には、水族館が公募していたフウセンウオのワンポイント・マーク(デザイン)が選定されたりもした。フウセンウオについては、水族館プロデューサーの中村元によると、クリオネに次いでフウセンウオが北海道発のブレイクをすると期待したが、飼育が難しいこともあって、ブレイクはしなかったと残念がっている。 水族館は新しくペンギン展示舎をつくり、2000年4月24日、網走市の補助を得て小樽水族館から移入したフンボルトペンギン10羽(雄・雌各5羽)が到着し、4月28日から公開された。網走新聞はペンギン展示について「道東や近郊の客、子供に人気」と書いている。ところが、2000年にラッコ2頭が相次いで死亡してしまい、1頭になってしまった。最後の1頭となったラッコのマミー(メス・1992年4月14日-2012)はこの場での飼育は諦め、2002年2月28日に、繁殖に役立てるために、茨城県のアクアワールド・大洗へ移送されていく。13年間のラッコの飼育について、館長の本間保は「野生動物の奥深い飼育の難しさを経験した。とくにラッコが、これほど困難だとは予想を超えていた。飼育担当の職員もよくやった。これまでに得た飼育のノウハウやデータを今後に生かしたい」と網走新聞の取材に話している。また網走新聞は「本当に残念」と伝えている。 マミーが移送されて空き家となったラッコ館は、2002年4月20日に、大阪の海遊館から雌雄ひとつがいの「コツメカワウソ」(「ニッキ」オス1992年産、「カリン」メス1993年産)が空路で移送されて新生活が始まり、同年4月27日から北海道内初の一般公開がなされている。繁殖を期待され、また、ゴールデンウィーク明けの網走新聞は早くも人気となったと伝える。 また、2001年にはカナダの北極圏(北極海)のクリオネの展示を行う。北極海のクリオネはオホーツク海産よりも大きく、水族館において比較展示された。この北極海のクリオネがオホーツク海のものより一回り大きい理由を、館長の本間保は、北極海は時期が夏で、餌が豊富だからと考えている。北極海のクリオネは海遊館(大阪市)を経て水族館に贈られた。 しかしこれらの取り組みは、大きな集客増には結び付かず、2000年から入館者数が10万人を割り込んでいた。施設の老朽化などが原因といわれる。
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