ファラスリムの統治者とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ファラスリムの統治者の意味・解説 

ファラスリムの統治者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 01:44 UTC 版)

キーアダン」の記事における「ファラスリムの統治者」の解説

4605年(ヴァラ年)。エルダールヴァラールの招きに応じてエルフ目覚めの地クイヴィエーネン離れ至福の地アマンへと旅立った。かれらのうちテレリ歩み遅く、4632年にウルモヴァンヤールノルドール運び去ったあとも、東ベレリアンドに留まっていた。かれらは行方のわからなくなったかれらの王エルウェ置いたまま、先に進む気になれずにいたのである。しかしウルモヴァンヤールノルドール連れて海を渡ったことを知ると、かれらの多く西方への旅を続けエルウェの弟オルウェ王として、シリオンの河口近く長いあいだ留まった。海のマイアであるオッセウイネンがかれらのもとを訪れ、かれらを助けた。かれらはオッセから学び、海を愛すようになった。4649年にウルモテレリ迎えに来るとオッセはかれらとの別れ悲しみ中つ国留まるように説いた。かれらの多くオルウェとともに大海をこえたが、テレリのうちオッセのもとめに応じたものたちは、ファラスにブリソンバールとエグラレストの港を築き中つ国最初船乗り最初船大工となった。かれらは「ファラスのエルフ」ことファラスリム呼ばれキーアダンがかれらの統治者だった。 キーアダンは自ら造った船で、オルウェ追ってヴァリノール航海することを考えたが、ヴァラール警告を受け、これを思いとどまったヴァラールは今のかれでは大海波風に耐ええる船を造ることは出来ず、かれの手わざが極まるまで思いとどまるようにいった。のちにかれの技は高まり、かれが手を貸したエアレンディルの船ヴィンギロドは、ヴァリノール隠されてから大海越え最初の船となった本項ヴィンギロド参照。 4652年にエルウェメリアンとともに残されテレリたちのもとに戻り次第勢力増していった。4700年ごろにはキーアダンファラスリムもふたたびかれを主君とした。キーアダンエルウェバラール島で採った真珠送りエルウェはこれとメリアン知恵をもって、メネグロスを建設するドワーフたちへの支払いとした。 4997年。モルゴスの軍が南下するキーアダンエルウェとの連絡絶たれ、ファラスの港はオーク包囲された(ベレリアンド第一合戦)。この包囲のさなかにノルドールの王フェアノールとその息子たち軍勢がベレリアンドに到着しモルゴス軍を敗走させた(星々の下の合戦)。 帰還したノルドールたちは、ベレリアンドのテレリたちをシンダール呼んだシンダールにはエルウェの民とファラスリム含まれるが、オッシリアンドの緑のエルフ含まれない

※この「ファラスリムの統治者」の解説は、「キーアダン」の解説の一部です。
「ファラスリムの統治者」を含む「キーアダン」の記事については、「キーアダン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ファラスリムの統治者」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ファラスリムの統治者」の関連用語

ファラスリムの統治者のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ファラスリムの統治者のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのキーアダン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS