ピカソとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 18:59 UTC 版)
ピカソと出会ったのは、1936年1月、パリ6区サン=ジェルマン=デ=プレ地区の老舗カフェ「ドゥ・マゴ」でのことであった。ドラ・マールはテーブルの上に手を広げてナイフで指の間を順番に突く遊び(ナイフゲーム、Knife game)をしていた。あまりに素早く突いたためにナイフが指に当たって血が流れたが、それでもまだ続けていた。ピカソは「気性の荒い」ドラ・マールに惹かれ、アトリエのショーケースに血まみれの手袋を置いていたという。 ドラ・マールはアストルグ通りのアトリエでピカソの肖像写真を撮り始めた。また、1930年頃からしばしばウール県(ノルマンディー地域圏)ギゾール(フランス語版)のル・ボワジュルー(フランス語版)の古城に滞在して制作していたピカソは、ドラ・マールを連れて同地を訪れ、ここで互いの写真を撮り続けた。二人はこれらの写真をもとにクリシェ・ヴェール(ガラス版画)を制作し、美術評論家クリスチャン・ゼルヴォス(フランス語版)が創刊した前衛美術雑誌『カイエ・ダール(フランス語版)(美術手帖)』に発表した。 一方、ドラ・マールは1936年からシュルレアリスムの代表作を発表し始めた。1936年6月11日から7月4日までロンドンのニュー・バーリントン画廊で開催された国際シュルレアリスム展(英語版)では《まねをする子ども》、ジャクリーヌ・ランバの肖像《夜明け》、およびシュルレアリスムの先駆・不条理演劇のとされるアルフレッド・ジャリの演劇『ユビュ王』(1896年刊行)に触発された《ユビュの肖像》(アルマジロの胎児を撮ったネガフィルムを使ったフォト・モンタージュ)が展示された。 1936年12月から1937年1月まで、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された「幻想芸術、ダダ、シュルレアリスム」展にはブルトン、ルネ・クルヴェル、リーズ・ドアルム、ヌーシュ・エリュアール、ポール・エリュアール、レオノール・フィニ、ジャコメッティ、ユニエ、フリーダ・カーロ、マリー=ロール・ド・ノアイユ(フランス語版)、メレット・オッペンハイム、イヴ・タンギーらとともに参加し、《夜明け》と《まねをする子ども》を出展した。
※この「ピカソとの出会い」の解説は、「ドラ・マール」の解説の一部です。
「ピカソとの出会い」を含む「ドラ・マール」の記事については、「ドラ・マール」の概要を参照ください。
- ピカソとの出会いのページへのリンク