ビーチバレー選手として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 00:46 UTC 版)
高校卒業後、"全日本男子チームのエースアタッカー兼キャプテン"だった日本ビーチバレー連盟会長の川合俊一(芸能事務所・ケイブロス創業社長)からスカウトされ、ビーチバレーに転向すると同時にケイブロスに所属。モデル業及びタレント活動を競技生活と並行して行い、ファッションモデルやグラビアモデル(ビキニモデル)として人気を獲得し、グラビアアイドル(略してグラドル)にもなった。 ゴールデンタイムのバラエティ番組に水着で登場し、浅尾の知名度、人気は飛躍的に上がった。浅尾の出場試合は観客が急増し、浅尾を写真撮影しようとする観客も増えた。日本ビーチバレー連盟 (JBV) は(浅尾以外の選手も含めて)選手の写真がネット上や雑誌などへ無断掲載されるのを防止、肖像権を守ることを主な目的として、2007年度から試合の個人撮影を禁止した。 2006年より、MLM企業、ハーバライフのスポンサードを3年間受けた。 2008年2月より、ペアを組んでいる西堀健実と共に所属クラブをエスワンへ移籍した。その後、新コーチに2002年釜山アジア大会金メダリストの渡辺聡を迎え、北京オリンピック代表を目指し世界を転戦していたが、出場に必要なFIVB世界ランキングにおいて上位にはるか及ばず、代表権を得ることは無かった。なお、五輪期間中はタレントとしてテレビ中継番組に出演した。 2008年8月から9月にかけて「大会の冠スポンサーとCM出演スポンサーの業種がバッティングするため」「身内の急病のため」との理由でJBVツアー第4戦・第5戦を相次いで欠場。これに対し東京中日スポーツが「親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている」「片田舎のビーチにまで足を運ぶファンのためにも、プロとしての責任を果たすべきではなかったか」と浅尾の対応を批判した。しかし実は8月12日に実妹が交通事故に遭い重体、一時容態は持ち直したものの9月5日に亡くなっていたことが判明し、「妹の死よりもツアーを優先しろとは人間としてひどい」と逆に東京中日スポーツを批判する意見がネット上を中心に続出、東京中日スポーツは後に謝罪記事を掲載した。 2009年11月、現状ではロンドン五輪出場は難しいとして、長年ペアを組んでいた西堀健実とのペアを解消。12月、日体大出身の元ユニバーシアード日本代表草野歩(元湘南ベルマーレスポーツクラブ—現エスワン所属)と新ペアを組み、ロンドン五輪日本代表を目指す。愛称は浅尾の浅と草野の草を取り、浅草コンビとなづけられていた。 2010年11月、所属事務所ホームページを通じチームの解散を発表、「浅草コンビ」は1年間で解散することとなった。 2011年は松山紘子(チームサンドブロック)とコンビを組むが、1年で解散。2012年は浦田景子と、コンビを組む。
※この「ビーチバレー選手として」の解説は、「浅尾美和」の解説の一部です。
「ビーチバレー選手として」を含む「浅尾美和」の記事については、「浅尾美和」の概要を参照ください。
- ビーチバレー選手としてのページへのリンク