ビーチバレー選手時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 08:03 UTC 版)
「尾崎睦 (競輪選手)」の記事における「ビーチバレー選手時代」の解説
東海大学付属相模高校3年のマドンナカップで3位入賞。 東京女子体育大学進学後はぴあカップ優勝を果たし、ユニバーシアード代表にも選出される。 卒業後は湘南ベルマーレスポーツクラブに加入。当時のニックネームは「ビーチの申し子」。同期の草野歩とペアを組み国内外を転戦。JBVツアー愛知大会ではわずか2戦目で3位入賞となる。海外でもユニバーシアード大会で5位、アジアビーチで7位の成績を残す。 2009年にはJBVツアー第4戦東京大会で初優勝。JBVグランドスラムでもタイトルを獲得した。 同年限りで草野とのペアを解消。最後の大会となった12月のアジア選手権では、3位決定戦で田中姿子・溝江明香ペアを降し銅メダルを獲得。 2010年は金田洋世(競輪学校106期生の元競輪選手)とペアを組んだ。同年の全日本ビーチバレー女子選手権大会で優勝。 その後、浅尾美和とのコンビを解消することになった草野歩と再び組むことになった。 2012年、2013年と2年連続で、草野歩とのペアでJBVツアーランキング第1位となった。
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