ビッグマウス・ラウド
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2005年1月、新日本プロレスと3度の契約更改交渉を行うも決裂して1月31日付で退団。2009年に行われた「DREAM12」の試合前インタビューにて、最強だと思っていた新日本プロレスの中で最も憧れていた「ケンドー・カシン」がPRIDEのリングでハイアン・グレイシ-に敗北したことが退団の切っ掛けであったと語っている。2013年8月のインタビューで柴田はこれについて「やめるのも自分のプロレスのひとつ、一部であったと思います。それがなかったら自分じゃなかっただろうし。やめることが新日本だった」と語っている。同年5月14日の新日本プロレス東京ドーム大会に登場するも、翌週、上井文彦の興行会社ビッグマウスと契約を結んだ。 8月4日のビッグマウス主催大会「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005」に出場、プロレスリング・ノアの秋山準と対戦し13分46秒リストクラッチ式エクスプロイダーで敗北した。 8月10日、ビッグマウスとは7月末に契約を満了し、8月からは関連会社で村上和成が代表を務めるビッグマウス・ラウドに移籍をしたと発表。 11月5日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会にて、KENTAとタッグを組み初参戦。 2006年3月22日、前田日明・船木誠勝らの脱退騒動もあった「BIG MOUTH ILLUSION III」での門馬秀貴戦は、門馬のプロレスへの適応が高かったこともあり(プロレス参戦2戦目であった)、柴田のベストバウトと言われるほど評価が高い。 7月2日、「BIG MOUTH ILLUSION VI」での佐々木健介戦で、ノーザンライトボムに受け身をとった際に健介の顔と柴田の膝が接触、後ほど健介は左眼窩底骨折と判明した。 8月20日をもって、ビッグマウス・ラウドを退団、フリーランスの形態(柴田曰く「これから全て責任を取る」)で他団体に参戦していく意向を明らかにした。これについて柴田は「月に一回しか試合が無いことに不安を感じていた」とコメントしている。仲の良いKENTAが所属し、かねてより継続参戦を希望していたノアのリングがフリーとしての初戦となることが決定した。 9月9日には、プロレスリング・ノア日本武道館大会にて、タッグマッチが組まれた(KENTAと組んで田上明・潮崎豪組と対戦し、勝利)。
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ビッグマウス・ラウド
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「ビッグマウス」の記事における「ビッグマウス・ラウド」の解説
ビッグマウス・ラウドは、かつて存在した日本のプロレス団体。ビッグマウスの関連会社。
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