前田日明との提携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:08 UTC 版)
2005年1月、前田日明がスーパーバイザー、船木誠勝がコーチ、ビッグマウス代表の上井文彦がプロデューサーに就任。前田は記者会見で、「本当のストロングスタイルを作りたい」という上井の信念に共感して、総合格闘技でも通用するプロレスラーを作るとコメントした。 前田と関係が深い真樹日佐夫と、前田の大ファンだと公言していた横峯良郎らが顧問を務めて、「プロレスの再認識」と「リアルプロレス」を信念に掲げた。団体名の命名者は前田で、日本語に直訳すると「大ほら吹き」と訳される。 2005年9月11日、後楽園ホールで旗揚げ戦を開催。また、引退していた木戸修が「ビッグマウス」所属選手として復帰し、同じく引退していた船木が復帰することを宣言。また船木は、前田の「総合で通用するレスラー」作りにも協力することも同時に宣言した。 2006年2月26日、前田と船木が脱退。今後はUWFスタイルの再興に努めると発表。前田はビッグマウス・ラウドのために、未完成だったUWFスタイルを進化させた「スーパーUWF」というスタイルを完成させたが、上井は「(前田の提唱する)独自スタイルは出来ない」と最終的に答えたため、提携解消に至った。ビッグマウスとしての資金の不安定さ等を前田は露呈させたが、柴田に関しては、今後も船木と共に面倒を見続けることも表明した。 上井は「ひょうきんプロレス」のドン荒川や、「イス大王」の栗栖正伸といった選手を参戦させていることなどから、前田の総合格闘技志向とは正反対の方向性であり、決別は当然の結果であった。
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