前田日明との確執
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1994年、リングスとUWFインターナショナルとの対抗戦の交渉が不調に終わったことに不満を募らせ「前田なんて前の(新生)UWFで終わった人間。堕ち行く己の価値をごまかすためにUWFインターを利用しようとした。高田さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と挑発。一方、前田の側もプロレス誌で「安生と道で会ったらタダでは済まさん。家族の前で制裁を加える」と発言した。これについて、安生の自宅の襲撃を前田が示唆したとして、UWFインターは前田を名誉毀損と脅迫で告訴した。この問題は前田が記者会見を開いて謝罪することで告訴取り下げとなり、いったんは収まった。 1996年6月10日、ホテルオークラでのFIGHTING TV サムライ開局のパーティーでは前田が安生を「なめんなよ」と小突く。アントニオ猪木が仲裁に入ったとされている。 1999年11月14日には、UFC-J会場において、「前にやられた時のお返し」として背後から不意打ちで前田を殴打して前田は失神。安生は傷害罪により略式起訴され、2000年1月5日に罰金20万円の略式命令を受けた。結果的に前田は失神してしまったが、本来は殴った後に「文句があったらリング上でやろう」という話にするつもりだったという。ちなみに安生が当日闘うはずだった相手は当時世界最強のMMAファイターとうたわれたフランク・シャムロックであり、前田はそれを聞いて「安生など30秒もたない」との侮辱発言に及んでいた。
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