ヒトラーの訪問
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「カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム」の記事における「ヒトラーの訪問」の解説
1942年6月4日にヒトラーはフィンランドを訪れ、マンネルヘイムの75歳の誕生日を祝った。前日の夕方に知らされたマンネルヘイムは、より公式的な訪問のように見えるミッケリやヘルシンキの司令部で会うことは避けた。会談はフィンランド南東部のイマトラで、ごく秘密裏にセッティングされた。 イマトラ空港からリュティ大統領同伴のもと、ヒトラーは車でマンネルヘイムの待つ鉄道線の近くまで移動した。ヒトラーのスピーチのあと、誕生日の食事を行いヒトラーとマンネルヘイムは会談した。リュティとその他フィンランド、ドイツの高官もこれに参加していた。ヒトラーはフィンランドで5時間を過ごしてドイツへ戻った。ヒトラーはソ連反抗作戦を促進するように求めるつもりであったとされるが、特に具体的な要求はしなかった。 フィンランド国営放送・Yleの技術者ソール・ダメン(Thor Damen)はヒトラーとマンネルヘイムの非公式な会話を録音することに成功した。ヒトラーは、自分の非公式な会話を録音することを許さなかったため、この録音は密かに行われた。この録音は、ヒトラーの非公式的な会話を録音した唯一のものである。 確証がない話であるが、ヒトラーとの会談の間にマンネルヘイムが自分の葉巻に火をつけたという話がある。マンネルヘイムはヒトラーがフィンランドに対ソ連の手伝いを求めると考えており、マンネルヘイムにとってはこれは不本意だった。マンネルヘイムが葉巻に火をつけた時、ヒトラーが嫌煙家であることはよく知られていたので他の出席者は息をのんだという。しかし、ヒトラーは葉巻についてコメントせず、冷静に会話を続けた。ヒトラーが自分が優位だとして話をしているならばマンネルヘイムに対して喫煙をやめるように言うはずである。マンネルヘイムはヒトラーが自分の立ち位置を強者と弱者のどちらと考えているかを判断できたという。ヒトラーが強く指図できないと判断しているため、ヒトラーの申し出を断ることができたという。
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ヒトラーの訪問
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「ヒトラーとマンネルヘイムの会話録音」の記事における「ヒトラーの訪問」の解説
1941年6月、ナチス・ドイツはソビエト連邦へ侵攻した。遠征の当初における、そして圧倒的な成功にも関わらず、ソビエト軍はドイツ軍のモスクワ攻撃を撃退し、ドイツ軍の進撃を失速させた。ヒトラーは、各同盟国が巨大なソビエトの軍事機構を可能な限り釘づけにさせることを求めていた。 1942年、厳重に秘密が保たれた中で、公式にはマンネルヘイムの75歳の誕生日を祝うため、ヒトラーはフィンランドを訪問した。公式訪問(英語版)のように映るとして、マンネルヘイムは自身の司令部でヒトラーを迎えることを望まなかった。従って、フィンランド南部のイマトラで会合が行われた。インモラ飛行場(英語版)で、ヒトラーはリスト・リュティ大統領やその他の政府・軍関係者の出迎えを受けてマンネルヘイムの個人列車に伴われ、そこで誕生日の会食と会談の場が持たれた。
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