パヴィア大学
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パヴィア大学(イタリア語: Università degli Studi di Pavia、英語: University of Pavia)はイタリアのパヴィーアにある大学。
歴史
1361年に設立されたイタリアの大学のひとつ。大学の前身になった学校が設立されたのは9世紀にさかのぼり、当時は神学、天文学、法律などを学ぶ場であった。これを元に、1361年に総合大学として設立された。大学の建物は14 - 15世紀にかけて建てられたとされる。その後、ジュゼッペ・ピエルマリーニらの手により増築された。同大学の医学部には、パヴィア大学歴史博物館が設置されており、大学の歴史を記す資料に加え、歴史的な解剖学の標本などが展示されている。また近年、エンジニアリング部が設置され、多数の技術者を輩出しているとされる。大学の近隣には米マーベル社の技術研究センターなどが設置されている。
学部
- 経済
- エンジニアリング
- 人文科学
- 法律
- 物理・数学
- 医学
- 薬学
- 音楽
- 政治
キャンパス
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卒業生
- ウーゴ・フォスコロ - 詩人
- ロレンツォ・マスケローニ - 数学者
- ジェロラモ・カルダーノ - 数学者
- ルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァ - 遺伝学者
- カミッロ・ゴルジ - 医学者
- ジュリオ・ビッツォゼロ - 医学者
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 公式ウェブサイト
- パヴィア大学 (@unipv) - X(旧Twitter)
パヴィーア大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 01:59 UTC 版)
1361年創立。825年に記録が残された修辞学学校がもととなった。チェントラーレは15世紀から19世紀にかけ12の区画でつくられた広いレンガづくりのものである。均斉のとれたファサードの変化は、バロック様式から新古典主義建築にかけてのものである。大階段、アウラ・フォスコロ、アウラ・ヴォルタ、アウラ・スカルパ、アウラ・マーニャも、新古典主義建築である。スピリティ・マニのコルティーレ(Cortile、中庭)は、大学の重要な学者や卒業生たちの像を所蔵する。古い墓碑と14世紀から16世紀の学者の墓石は、ヴォルティアーノのコルティーレの壁に塗り込められている(そのほとんどは打ち捨てられた教会から持ち込まれた物である)。マニョリエのコルティーレは、古い劇場土間をもつ。ルドヴィーコ・イル・モーロのコルティーレは、ルネサンスの涼み廊とテラコッタ装飾がある。どちらの区画もさらに2箇所と同様、旧オスペダーレ・ディ・サン・マッテオの回廊である。大学付属植物園(Orto Botanico dell'Università di Pavia)がある。
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