パブリセヴィッチ退任後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 11:02 UTC 版)
「バスケットボール男子日本代表」の記事における「パブリセヴィッチ退任後」の解説
世界選手権後、JBAはベスト8入りできなかったこと等を理由にパブリセヴィッチとの契約を更新せず、後任にJBLのアイシンシーホースで実績を残した鈴木貴美一がアイシンと兼任でHCに就任した。この頃、JBAは世界選手権開催の赤字の責任と処理をめぐって評議委員会が幾度も流会となるなど混乱しており、2007年アジア選手権兼北京オリンピック予選は自国開催(徳島)でありながらチーム強化が覚束ず、2次リーグ3連敗で8位に終わり、鈴木は辞任した。翌2008年も日本オリンピック委員会(JOC)から資格停止処分を受けるなどJBAの内紛が続いており、男子A代表は新体制が決まらず活動が無かった。 2009年2月、デイビッド・A・ホッブスがHCに就任し、4月から2007年アジア選手権以来約1年8か月ぶりに代表候補選手を招集して活動を再開したが、ホッブスは7月に退任。8月の2009年アジア選手権(天津)は強化部長の倉石平がHCに就任して指揮を執ったが2次リーグで台湾とイランに敗れて敗退。前回をさらに下回る歴代最低の10位に沈み、倉石は辞任した。12月の東アジア大会(香港)は日立HCの小野秀二がこの大会限定で指揮を執った。 2010年は史上初めてHCを公募にかけ、リンク栃木ブレックスをJBL初優勝に導いたトーマス・ウィスマンが就任した。スタンコビッチカップは準優勝。同年の広州アジア大会は予選リーグを1位で通過、準々決勝で北朝鮮を破り、4大会ぶりにベスト4入りした。翌2011年9月に開催されたアジア選手権兼ロンドンオリンピックアジア予選(武漢)は1次・2次リーグを突破したが、準々決勝で韓国に敗れて7位に終わり、五輪出場を逃した。 2012年3月、JBAはウィスマンを解任し、鈴木貴美一がHCに再就任した。9月に東京で開催されたアジアカップ(旧スタンコビッチカップ)で準優勝。2013年アジア選手権(マニラ)は2次ラウンド3連敗で9位となり、2014年ワールドカップ出場権を逃した。鈴木は10月のJBA理事会で成績不振の責任を取って辞任した。
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