パイネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動パイネル(ブルガリア語: Пайнер, ラテン文字転写: Payner)は、ブルガリアのレコード会社。2007年現在、ポップ・フォーク音楽を中心に、多くのアーティストを擁するブルガリア最大手のレコード会社。音楽番組を放送するテレビ局Planeta TVを持っている。
主な所属アーティスト
元所属アーティスト
テレビ局
パイネルは、2001年より自社の音楽を中心に音楽番組を放送するテレビ局Planeta TVを持っている。
Planeta Prima
2004年からブルガリア国内の都市を巡るコンサート・ツアー「Planeta Prima (Планета Прима)」を行っている。2006年には15都市を巡回し、同社レーベルに所属するゲルガナ、エミリア、イヴァナ、カメリア、アネリア、ライナ、マリーナ、プレスラヴァらなどの人気歌手が登場した。
グランド・プロダクションとパイネル
パイネルはセルビアのレコード会社グランド・プロダクションの関連企業であり、パイネルはグランド社の楽曲を使用する権利が契約によって認められている。これにより多くの旧ユーゴスラビアの歌手の曲がパイネルの歌手によってブルガリア語でカバーされている。
外部リンク
- Payner Music 公式サイト
パイネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 19:15 UTC 版)
1996年、ブルガリアのレコード会社パイネルは、デシ・スラヴァが歌手として歌うラドネヴォ・オルケストゥルのアルバム『Оркестър Раднево и солисти』(Orkestar Radnevo i solisti、オルケストゥル・ラドネヴォ & ヴォーカル)を発売した。1998年、18歳のときにソロ・アーティストとしてパイネルと契約を結び、デシ・スラヴァの最初のアルバム『Нямам проблеми』(Nyaman Problemi)は1998年にパイネルから発売された。収録曲の多くは気楽なダンス・リズムの楽曲であった。全部で11曲が収録され、うち5曲はデシ・スラヴァ自身によって作詞された。アルバムの発売後はより多くのファンを獲得し、多くの音楽祭に参加した。 1999年11月、最初のソロ・アルバム収録曲「Заклевам те」(Zaklevam te、問題なし)は、ポップ・フォークの楽曲に与えられる、ズラテン・ムスタンク賞(Златен мустанг / Zlaten Mustang)の最優秀受賞作品となった。2枚目のアルバム『Ези -тура』(Ezi - tura、表か裏か)は、この年最もよく売れたアルバムとなった。 2000年にはアメリカ合衆国のロサンゼルスで開催されるコンクールに2つの部門で参加し、民謡の「Женала е дюлбер Яна / Zhenale e dyulber Yana」とホイットニー・ヒューストンの曲を歌った。30箇国以上から参加者があつまったこの大会で、デシ・スラヴァはポップ音楽部門で銅メダルを受賞した。その後シカゴに移り、ブルガリア人が所有するMario's Cafeで歌っている時、オーナーの息子と恋愛関係となった。 デシ・スラヴァは家族に出産を知らせるためにブルガリアに帰国した。出産の当日、夫のミショ(Мишо)に対し、ミショの父親の名をとってマイキ(Майки)と名づけることを提案した。出産後は夫の家族とともに子供の世話をしていたが、やがて歌手としてのキャリアを続けるためにブルガリアに帰国した。楽曲「Бели нощи」(Beli noshti、白夜)は非常に流行し、ポップ・フォークを代表する曲のひとつとなった。3枚目のアルバム『Завинаги』(Zavinagi、永遠)は2000年に発売された。 アメリカ在住による1年間の音楽活動の休止にもかかわらず、デシ・スラヴァの人気は全く衰えることはなかった。多くのファンが熱狂的にデシ・スラヴァを支持していたが、このことが彼女の私生活に悪影響を与え、夫とは離婚した。新曲の「Птица скитница」(Ptitsa skitnitsa、さまよえる鳥)は大ヒットとなった。2002年の夏、4枚目のアルバム『Мистерия』(Misteriya、ミステリー)が発売された。このアルバムや収録曲の多くが大ヒットとなった。この年の11月10日、プラネッタTVの視聴者の支持によって、デシ・スラヴァは2002年の最優秀歌手に選らばれた。 2003年、デシ・スラヴァはパイネルのスタジオを離れ、スターとしての独自の道を模索しはじめる。2004年の春に「Просто Забрави」(Prosto Zabravi、ただ忘れて)を発表して音楽業界への凱旋を果たし、アルバム『Любовта е само чувство』(Lyubovta e samo chuvstvo、愛はただの気持ち)を発売する。このアルバムからも多くのヒット曲が生まれ、アルバムはこの年のブルガリアで最もよく売れたアルバムとなった。
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