バージニア半島でのスペイン宣教師団とは? わかりやすく解説

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バージニア半島でのスペイン宣教師団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 14:24 UTC 版)

バージニア州の歴史」の記事における「バージニア半島でのスペイン宣教師団」の解説

1560年スペイン探検隊バージニアチェサピーク湾地域低地訪れバージニア半島住んでいるインディアン出会った。キスキアックの集落今日ヨークタウン・アメリカ海軍武器庫のある場所)からポウハタン酋長息子であった17歳少年探検隊同行することに同意した少年洗礼受けて庇護者であるルイス・デ・ヴェラスコに因んでドン・ルイスと改名した。ドン・ルイスはメキシコスペインマドリッド教育受けた10年後の1570年秋、イエズス会計画したアジャカン伝道所低地半島部のセントメアリーとよばれることになる場所に設立しようとしたとき、改宗したインディアンのドン・ルイスは案内人通訳として助けるためにバージニア戻ったスペイン船を離れて間もなく、ドン・ルイスはその集団棄てて故郷帰り、そこでウェロアンス(酋長となった翌年2月、ドン・ルイスとポウハタン族の集団戻り8人のイエズス会宣教師殺し、その衣類所有物奪ったうえで、アロンソという名のスペイン人召使い少年のみ命を救った。この少年逃亡しポウハタン族とは敵対する部族のもとに逃げ込み別のスペイン船が物資持って現れたときに救出された。 1572年初期アロンソから事の経緯聞いたスペイン領フロリダ知事ペドロ・メネンデス・デ・アヴィレスは復讐のためにバージニア戻った結局スペイン人虐殺責任があると信じられるインディアン数人捕まえ処刑したが、ドン・ルイスの所在突き止められなかった。このできごとスペインバージニア植民地造ろうという試みが終わることになったが、400年上後、ドン・ルイスとポウハタン連邦の後の酋長オペチャンカナウは同一人物ではないかという推測なされている。オペチャンカナウという名前はポウハタン族が使うアルゴンキン語で「その心が白い者」を意味している。

※この「バージニア半島でのスペイン宣教師団」の解説は、「バージニア州の歴史」の解説の一部です。
「バージニア半島でのスペイン宣教師団」を含む「バージニア州の歴史」の記事については、「バージニア州の歴史」の概要を参照ください。

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