バージニア会社:プリマスおよびロンドン支所
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「バージニア州の歴史」の記事における「バージニア会社:プリマスおよびロンドン支所」の解説
女王エリザベス1世の死後、1603年にジェームズ1世がイングランド王位を継いだ。数年におよぶ戦争によってイングランドは資金難に陥ったので、国王はイングランドの新世界における植民地化権利をバージニア会社に特許した。バージニア会社は1606年4月10日に作成された独占勅許によって株式会社として設立されていた。バージニア会社には2つの競合する支所があり、それぞれが金を探査(現実にはなかった)するためにバージニアに植民地を造りたいと願い、スペイン船に対抗してイギリス私掠船を支える基地を造り、またスペインの拡げるカトリックと競合して新世界にプロテスタントを拡げたいと考えていた。 バージニア会社の中で、プリマス支所がバージニアとして知られる場所の北部地域を割り当てられ、ロンドン支所は南をあてられた。2つの支社の境界となる地域が競合になった。 1607年の晩夏、プリマス支所は現在のメイン州にポパム植民地を設立したが1年間しか続かず、1608年には放棄された。 プリマス支所の後継者が1620年にメイフラワー号でピルグリム・ファーザーズを送って、マサチューセッツ州となる地域に恒久的開拓地を建設する時までに、この地域はもはやバージニアの一部とは考えられないようになり、ニューイングランドと改名された。しかし、その12年前にバージニア会社の中で競合するロンドン支所がジェームズタウンに恒久的開拓地を建設することに成功した。
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