バークシャー・ハサウェイの経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:24 UTC 版)
「ウォーレン・バフェット」の記事における「バークシャー・ハサウェイの経営」の解説
1965年にバフェットは繊維業のバークシャー・ハサウェイの経営権を創業家との衝突の後に取得し、新社長にケン・チェイスを指名した。バフェットは1970年からバークシャー・ハサウェイの会長として、現在では有名となっている株主への年次報告書を執筆し始める。 バークシャー・ハサウェイは1973年にワシントン・ポスト株を買い始める。ワシントン・ポストとその機関紙を支配しているキャサリン・グラハムと親友になり、バフェットはワシントンポストの社外取締役となる。バークシャー・ハサウェイ株が下落し始め、バフェットの純資産は1974年には半減する。バフェットの指示にて、バークシャー・ハサウェイは資金の借り入れを行う。 1977年、ブルーチップを通じて3250万ドルでバッファロー・イブニング・ニュースを買収した。新たに日曜版を開始し、既存の平日版の読者に4週間無料で、店頭では特別価格で販売した。このことでライバルのクーリエ・エクスプレスから反トラスト法にて訴訟を起こされ、解決まで5年を要した。 1979年にABC株を1株当たり290ドルで購入した。この頃のバフェットの純資産は1億4000万ドル近くとみられている。年間5万ドルを給与を貰い生活を続けていた。 バークシャー・ハサウェイの株価が年初775ドルから年末に1,310ドルにまで上昇した為、バフェットの純資産は6億2000万ドルとなり初めてフォーブス誌に名前が載る。 副会長のマンガーの発案により1981年からバークシャー・ハサウェイが利益の一部を寄付する際に、寄付先を株主が持ち株に応じて決定できるという慈善事業計画を策定した。1983年、家具屋のネブラスカ・ファーニチュア・マートを6000万ドルで買収した。バフェットはオーナーが同社の売却を考えていることを知り、オーナーの息子と事前に下交渉をしていた。その上でバフェットは店を訪ねてオーナーの老婦人と直接交渉し、会計の監査や在庫の調査をせずに、言い値に対して即払いで購入した。 1983年のバークシャーの持つポートフォリオは13億ドル程度の価値と評価されるまで成長していた。一方で本来の繊維業は不振を続け、1985年にバフェットはバークシャーの繊維部門の再建を断念して工場を閉鎖した。優秀な生え抜きの経営陣と資本を注ぎ込んだが、最後の9年間累計で売上が5億3000万ドル、1000万ドルの赤字であった。当時すでにアメリカにおいて斜陽産業であった繊維業を再建することはできなかった。
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