バーキンとの離別以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 00:32 UTC 版)
「セルジュ・ゲンスブール」の記事における「バーキンとの離別以降」の解説
1980年から、モデル・歌手のバンブーと同棲、正式な結婚の手続きをとらず最後まで事実婚状態であったが、バンブーがセルジュの最後のパートナーとなった。2人の間にはピアニスト・作曲など音楽家として活動するルル・ゲンスブール(1986年生まれ)がいる。 1979年に発表した『フライ・トゥ・ジャマイカ』は右翼団体に問題視され、その後彼はたびたび襲撃されるようになる。1984年に競売で「ラ・マルセイエーズ」の原詩ににあたる、1833年に出版された『ライン軍のための軍歌』のオリジナル原稿を買い取ったとき、「破産する覚悟で望んだ」という本人の談がある。 1984年、当時13歳のシャルロットとのデュエットで「レモン・インセスト」(Lemon incest)をリリースする。これはショパンの「練習曲ホ長調『別れの曲』」に、incest(インセスト)という題名の通り、セルジュとシャルロットの関係を思わせるような歌詞をつけて歌ったものである。1986年にはシャルロットのアルバム『魅少女シャルロット』をプロデュースして、同作でも2曲でシャルロットとデュエットした。 晩年、テレビに出演する機会は多かったが、髭も剃らず、しばしば酔ったままで現れた。ホイットニー・ヒューストンと共演したときには "I want to fuck you" と発言した。 1990年、第5回ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュージック(フランスのグラミー賞と呼ばれる音楽の祭典)において名誉賞に輝くも翌1991年3月2日、死去する。死因は心筋梗塞と考えられているが、発見時、既に死後どの程度の時間が経過していたか定かでない。遺体はパリのモンパルナス墓地に埋葬された。セルジュ・ゲンスブールの墓を訪れる人は後を絶たず、彼らが「リラの門の切符切り」にちなんで地下鉄の切符を供えるため、墓の周りにはいつも無数の切符が散らばっている。
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