バブル時代とそれ以降とは? わかりやすく解説

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バブル時代とそれ以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:41 UTC 版)

松任谷由実」の記事における「バブル時代とそれ以降」の解説

1985年以降の「バブル景気時代人気高かったスキー題材にした映画私をスキーに連れてって』(1987年)の主題歌挿入曲担当し、「若者カリスマ」、「恋愛教祖」などと呼ばれた当時比較されがちであった中流以下の地方若者人気のあった中島みゆき作風とは一線を画し、「中流上の育ちじゃないわからない世界観」、「中産階級の手に届く夢」(当時音楽ライターによる表現)を歌って90%以上の日本人が「自分中流思っている」という、一億総中流かつ上昇志向バブル時代に沸く時代波に乗った1990年代に入ると精神世界民族音楽にも着目し、「満月フォーチュン」「DAWN PURPLE」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」「輪舞曲」などを作曲する1993年TBS系列ドラマ誰にも言えない主題歌となった真夏の夜の夢」はシングル初のミリオンセラーとなり、翌1994年発売の「Hello, my friend」「春よ、来い」も続けてミリオンセラー記録同年発売アルバムTHE DANCING SUN』はオリジナルアルバムとして自己最高の217万枚売り上げるなど、第三次ブーム呼べる年となった1996年荒井由実名義でのセルフカバーシングルまちぶせ」を発売また、当時仲間ミュージシャン集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。このライブ・アルバム発売に伴い年末リリースアルバムが数か月遅れた。これ以降恒例となっていた活動サイクル(冬のアルバム発売〜夏までツアー)が若干緩やかになった。1998年には松任谷由実時代以降ベスト・アルバムNeue Musik』が380万枚売り上げ自身発表した全作品の中で最大売上記録している。 1999年にはロシアサーカスチームコラボレートしたコンサートシャングリラ』を開催。同コンサート2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。『シャングリラ3回の総制作費120億円以上、観客動員数100万人。

※この「バブル時代とそれ以降」の解説は、「松任谷由実」の解説の一部です。
「バブル時代とそれ以降」を含む「松任谷由実」の記事については、「松任谷由実」の概要を参照ください。

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