バックドロップ失神事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:46 UTC 版)
「グレート草津」の記事における「バックドロップ失神事件」の解説
団体の新エースと目された1968年1月3日、TBSの定期放送『TWWAプロレス中継』初回である日大講堂大会のメインイベントにおいて、ルー・テーズのTWWA世界ヘビー級選手権に3本勝負で挑戦したが、1本目にテーズのバックドロップを受けて後頭部を打ち、失神したまま2本目を放棄して敗退。これが俗に言う草津バックドロップ失神事件である。草津がその後遂にエースになれなかったこと、また国際プロレスが終始他団体の後塵を拝し続けたことから、草津のレスラー人生のみならず団体の運命をも決定づけた一戦として語られてきた。プロレス入りから2年半足らず、海外修行から戻ったばかりで国内での試合実績の乏しい草津のエース登用は、フレッシュなスターを求めるTBSの強い要望であったといわれている。放映初戦で超大物のテーズを倒しての戴冠となれば大きなインパクトがあったが、敗北でその目論見は崩れてしまった。新間寿の記事では「プロレスのスターなど一夜で作れるというTBSのプロデューサーの考えは甘く、グレート草津の売り出し方などは完全にTBSの失敗であった」という趣旨の批判がなされている。 テーズ側の証言によれば、当時テレビ放送していたTBSから、草津に花を持たせるブックを要求されて憤慨したため、わざとテーズが草津を返り討ちにしたと言う。テーズは「通常、3本勝負の場合は1本は相手選手に花を持たせてやるものだが、草津はまだまだグリーンボーイに毛が生えた程度。全米で未だメインイベントを取っている私が、そんな駆け出しに1本でも許すなんて、冗談じゃない」とも語っていた。草津戦後、テーズはTWWA選手権をかけてサンダー杉山や豊登と対戦しているが、いずれも三本勝負の1本を許しており、「杉山や豊登と草津にはそれだけの実力差があった」と述べている。 草津本人によれば、1本目を取られた後、セコンドについていたグレート東郷の「キープ・ステイ・ダウン(そのまま寝ていろ)」という言葉に従って起き上がらず、試合放棄という結果になったとのことであり、半失神状態が他者の指示によるものであったと述べている。
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