ハイデッガー 存在論の復権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 02:29 UTC 版)
「ドイツ現代思想」の記事における「ハイデッガー 存在論の復権」の解説
ハイデッガーは、主書『存在と時間』において、生の哲学の問題提起を受け止めながらも、哲学的人間学とも実存哲学とも決別し、存在論の復権を高々に掲げた。彼は、西洋哲学の根本をなしてきたものは、「存在とは何か」という問いであるが、従来の存在論(形而上学)はその問いに対して神や自然といった存在者を持ち出して応えようとしてきたとする。つまり、従来の存在論は、「存在者」(das Seiende)と存在者を存在者たらしめている「存在」(das Sein)との区別、すなわち「存在論的差異」を忘却してきたのである(存在忘却)。彼は、この点を批判し、あくまで存在そのものの「意味」を問おうとし、そのための方法論として現象学を採用し、志向性を「関心」(Sorge)と呼び、「存在的」(ontischen)なあり方と「存在論的(ontologisch)なあり方を区別した。彼によれば、すべての存在者の中でも、存在論的な在り方において、存在の意味について関心を持ち、理解し得る可能性のあるのは、理性ある「人間」のみであるが、「ひと」(das Man)は、日常においては、存在忘却のため、本来の自己をもたず、他人一般に支配され「世間」に埋没している。したがって、存在忘却から脱し、存在そのものの意味を解明する準備として、人間たるDasein(ダーザイン・現存在)がどのような構造をもつかを分析する必要があるとし、この現存在の分析論を「基礎的存在論」(Fundamentalontologie)と呼び、すべての存在者の意味に関する存在論の基礎を与えるものとした。彼によれば、基礎的存在論は、個人の実存的体験を基礎としない心理学的な人間分析であってはならず、また、個人の実存的体験のみを基礎とする「実存的分析」であってもならず、これと区別された「実存論的分析」(existentiale Analytik)でなければならない。この分析の結果、ハイデッガーは、現存在の根本的存在規定である「関心」の意味が「時間性」(Temporalität)にあるとした。ハイデッガーは、現存在が自己を「時間化」する方法は本来的なそれと非本来的なそれの二つがあり、それに応じて存在了解も変わってくると自説を展開した。存在の意味が変われば、その視点のもとに見られる存在者全体の在り方とそれとの現存在の関わり方、すなわち、文化の形成の仕方も変化する。本来的なそれにおいては、その時間化はまず未来への先駆として生起し、そこから過去が反復され、そして現在は瞬間として生きられるが、存在忘却の下にある世人は非本来的なそれの中に生きており、未来は漠然とした期待のうちで開かれ、過去は忘却され、現在は現に眼前にある事物への現前として出現するだけである。したがって、人間が自己を本来的に時間化することができれば、未来が優越する緊密な時間の流れの中で、反復される歴史を解体し、現在の瞬間を自由に生きることが可能になる、というのである。ここでは、カントのコペルニクス的転回以来、懐疑的にみられるようになり、ヘーゲル哲学の崩壊後は第一哲学の地位を失った形而上学が存在論として復権を果たしたのである。
※この「ハイデッガー 存在論の復権」の解説は、「ドイツ現代思想」の解説の一部です。
「ハイデッガー 存在論の復権」を含む「ドイツ現代思想」の記事については、「ドイツ現代思想」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からハイデッガー 存在論の復権を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ハイデッガー 存在論の復権のページへのリンク