ノートン・ビリヤーズとコマンドの誕生
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「ノートン・モーターサイクル」の記事における「ノートン・ビリヤーズとコマンドの誕生」の解説
1960年代末のイギリス・オートバイ産業は日本車との激しい競争に晒され、斜陽を迎えていた。1966年にAMCは倒産。ノートンはマンガニーズブロンズ(en)傘下のノートン・ビリヤーズ(en)へと再編された。 優雅ではあるが操作性の悪さと振動で有名になった『アトラス750』の次期モデル設計に臨み、ノートンは対策としてエンジン変更ではなくフレームの見直しに着手し、画期的な「アイソラスティック・フレーム」を開発した。 開発にあたりノートン・ビリヤーズは、ロールス・ロイス社からステファン・バウアー博士を招聘し、主任設計者とした。バウアー博士はモーターサイクルの開発に携わったことのない人物で、そればかりかオートバイに乗ったことすらない人物だったと言われ、それ故に既成概念にとらわれない発想や設計を可能とした。 「アイソラスティック・フレーム」は、エンジン・ミッション・スイングアームおよび後輪を一体とし、フレームとの接続にはラバーマウントを介した構造を持つ独特のもので、大排気量二気筒エンジンが生む振動のフレーム・フロントフォークそして搭乗者自身への伝達を軽減している。ラバー素材には劣化がつきまとったが、定期的なメンテナンスを怠らず激しい使用がされない限り作動に問題は生じなかった。 1969年、この「アイソラスティック・フレーム」に強力なエンジンを搭載した『コマンド』(Commando 750)が発売された。洗練されたデザインと革新的な技術に、バリエーションを取り揃えた『コマンド』は営業的には成功した。 もっとも、初期のコマンドのフレームにはクラックを発症するという欠陥があり、その改善にあたったのはかつてフェザーベッドフレームの製作で名を馳せたマッカンドレス兄弟社であった。 1972年1月には、『コンバット』(Combat)エンジンが発表された。これは、それまでのシングル・ベアリングから変更された並列ローラーベアリング(ころ軸受け)・クランクシャフトを備え、圧縮比10:1で65英馬力/6,500rpmを発揮した。しかし信頼性に乏しく、日本車と比較される際に目立つ欠点とされてしまった。
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